短編小説:『ロジカル・モンスターの最終面接』

「就職活動。それは、自分という商品を企業に売り込む、人生最大の商談です。 昨今は『圧迫面接』などという言葉も聞かなくなりましたが、企業側もあの手この手で志願者の本音を探ろうと必死です。 さて、ここに一人、どんな難問も『ビジネスロジック』でねじ伏せる、極めて優秀な男がおりました。 彼が信じたのは論理。しかし、論理が常に現実と一致するとは限らないのです……」


都内某所、超高層ビルの42階。

エレベーターを降りると、そこには有機的なものが何一つない、白一色の回廊が広がっていた。

久我(くが)は、オーダーメイドのスーツの袖口を軽く直し、革靴の音を響かせて歩いた。

彼は「面接」というものを、対話ではなく**「攻略すべきバグのないプログラム」**だと認識していた。どのような入力(質問)があろうと、最適解を出力(回答)すれば、システムは「採用」という結果を吐き出さざるを得ない。それが彼の信じる世界のルールだった。

通されたのは「第3会議室」。

広すぎる部屋の中央に、ポツンと置かれた長机。その向こうに、男が一人座っている。

年齢不詳。表情筋が死滅したような無機質な男だ。

「お掛けください」

男の声は、スピーカーから流れる合成音声のように平坦だった。

「これより最終面接を行います。形式的な質問は省きます。準備はよろしいですか?」

「はい。どのような問いでも」

男はゆっくりと手を伸ばし、胸ポケットから一本の安っぽいボールペンを取り出した。それをテーブルの上に、カタリと置く。

「ここにあるこのボールペンを、私に1万円で売ってみてください」

(来たか)

久我は内心でほくそ笑んだ。営業職の面接における古典だ。

久我はペンを手に取ることなく、面接官の目を真っ直ぐに見据えた。

「面接官様。このペンの市場価値は100円です。機能だけで1万円の価値を感じていただくことは不可能です。ですから、私はこのペンに**『将来の100万円の利益を生む私への先行投資権』**という付加価値を上乗せして提案します」

久我は畳み掛ける。

「このペンは契約の証です。投資対効果は100倍。……いかがでしょう、この未来へのチケット、1万円で買っていただけませんか?」

面接官の顔色はいささかも変わらなかった。ただ、能面のような顔で頷く。

「なるほど。ではシチュエーションを変えましょう」

面接官は窓の外、遥か眼下にある豆粒のような公園を指差した。

「私にではなく、あそこの公園にいる主婦に1万円で売ってみてください」

(ターゲット変更。BtoBからBtoCへ。利益訴求から感情訴求へ)

「承知しました」

久我は立ち上がり、架空の主婦に語りかけるように身振り手振りを加えた。

「奥様、お子様への想いはプライスレスですよね? 私は提案します。**『20年後のお子様に向けた手紙』**を、今この瞬間、このペンで書いていただきたいのです。1万円という価格はペン代ではなく、『今ここで書く』という決意の価格。20年後、このペンは親子の絆という宝物に変わります」

「主婦はこう言いました。『そのアイデアだけ頂いておくわ。家に帰ればボールペンぐらいあるもの』」

「おっしゃる通りです」久我は即答する。「しかし、だからこそ、このペンでなくてはならない。家のペンには『日常』が染み付いています。買い物リストを書くペンで、20年後の愛を語れますか? この1万円は『日常を断ち切るスイッチ』なのです」

一瞬の静寂。

面接官はペンをしまい、唐突に次の矢を放った。

あなたを家電に例えるなら、どんな家電ですか?」

「**『高性能センサー付きの、加湿空気清浄機』**です」

「理由は?」

「職場の澱みを感知するセンサー。ノイズを除去し成果に集中させる清浄機能。そして、人間関係の摩擦を防ぐ加湿機能。御社のような厳しい環境下でも、私は場の空気を常に正常化し、皆様が呼吸しやすい環境を作ります」

面接官が手元の書類に何かを書き込んだ。カリカリという音が、静寂な部屋に響く。

「では、海外赴任はできますか? 断らないで言われた場所に、言われた期間行ってくれないと困るのですが」

「即答で承ります。明日からでも構いません」

久我は胸を張った。

「会社がコストをかけて私を送るということは、そこに重要なミッションがあるという期待の表れです。場所が嫌だ、期間が長いといった個人の都合で、その期待を裏切る選択肢はありません」

面接官の目が、爬虫類のように細められた。

「すばらしい!……ソマリアに無期限なのですが、よろしいですね?」

(ソマリア。無期限。極限状態を提示して動揺を誘うストレステストか)

久我の論理回路は、「恐怖」を感じる前に「正解」を弾き出した。

「はい、即決でお受けいたします」

微塵の迷いも見せず、久我は答えた。

「ただし、無期限とは『ミッション完了まで』と定義させてください。私は最短でゴールを達成し、自らの手で無期限に終止符を打ちます。セキュリティとリソースさえいただければ、明日からでも飛びます」

「……疲れました?

不意打ちのように投げられた、労いの言葉。

「いいえ、全く」

久我は爽やかに笑ってみせた。

「むしろ、次々と現れる難題にどう打ち返すか、この知的ゲームに高揚感を感じています」

「そうですか」

面接官は立ち上がり、部屋の隅にあるマジックミラーの方へと歩き出した。

「あなたを採用すると、今いる誰か一人をクビにしないといけません。……あそこの待合室にいる誰を辞めさせるか、今ここで決めてください」

ガラスの向こうには、次の面接を待つ社員と思われる者たちが映っている。

久我にとって「情」はノイズでしかない。

「あの一番奥で、背もたれに深く寄りかかり、スマホをいじっている彼にしましょう」

久我は冷徹に、だらしない姿勢の男を指差した。

「この緊張感のある状況で、危機感を持てない人間は組織の癌です。彼の席を空けてください。私がその倍以上の利益を出します」

面接官は無言で受話器を取り、どこかへ短い連絡を入れた。

ガラスの向こうで、警備員たちが現れ、指名した男を連れ出していくのが見えた。男が何か叫んでいるが、こちらの部屋には聞こえない。

(徹底した演出だ。感服する)と久我は思った。

面接官が戻ってくる。

「さて…人生で一度だけやり直せるとしたら、どの瞬間ですか? 理由も併せてお答えください」

「一度もございません」

久我は即答した。

「過去の失敗は全て現在の私の資産であり、ビジネスにUndo(取り消し)は存在しないからです。私は未来の成果だけで正解を出します」

面接官は、深く、長く息を吐いた。

そして真顔のまま、最後の質問を投げかけた。

「……では、最後の質問です。今、何問目?

(記憶力テスト。そしてコンテキストの理解度チェック)

久我の脳内で、これまでの会話のログが高速で再生される。

「今の質問を含めて、計10回です」

久我は指折り数えて復唱した。

1. ペン(BtoB)
2. ペン(BtoC)
3. 主婦への切り返し
4. 家電の例え
5. 海外赴任
6. ソマリア
7. 疲労確認
8. クビにする相手の指名
9. やり直したい過去
10. そして、今の質問

「私のメモリは正常です。全て記録しております」

久我は勝利宣言のように言い放った。

「もし合格であれば、ぜひ『11回目』の発言として、『採用』の二文字をいただけますと幸いです」

部屋に沈黙が落ちた。

面接官はゆっくりと立ち上がり、初めて人間らしい、しかしどこか歪な満面の笑みを浮かべた。

「では合否を発表します」

男の声が、部屋中に反響する。

「合格です!あなたを『採用』します。 ……ソマリアで加湿空気清浄機の着ぐるみを着て、公園の主婦にボールペンを1万本売ってきてください。もしよろしければ、あなたがクビにした社員も同行させますよ」

久我の思考が一瞬停止した。

(……は?)

ソマリア。着ぐるみ。1万本。クビにした社員。

支離滅裂な単語の羅列。

だが、久我の「論理的思考(ロジカル・シンキング)」は、暴走機関車のように止まれなかった。

この狂気じみた命令すらも、高度なビジネス・ミッションとして変換してしまう。

そうしなければ、これまでの自分の完璧な回答が否定されてしまうからだ。

「ありがとうございます! 謹んでお受けいたします!!」

久我の声が上擦る。

「加湿空気清浄機の着ぐるみは、現地の砂嵐を防ぐプロテクターであり、広告塔ですね! クビになった社員の同行も大賛成です。彼に私の背中を見せ、再教育(OJT)の機会とします。売上目標は1億円ですね? 承知しました!!」

「よろしい。契約成立だ」

面接官がパチンと指を鳴らした。

その瞬間、白い部屋の壁が、音もなく崩れ落ちた。

天井が剥がれ飛び、床が砂のようにさらさらと崩れていく。

オフィスの冷たい空気が、一瞬にして熱風に変わる。

鼻をつく土埃の匂い。

遠くで聞こえる乾いた破裂音。

久我の目の前にあったデスクは消え、代わりに足元には巨大なダンボール箱と、白く光る巨大なプラスチックの塊 **「加湿空気清浄機型スーツ」** が転がっていた。

そして横には、先ほどガラス越しにクビを宣告した、あの「背もたれに寄りかかっていた男」が、呆然と立ち尽くしている。

「行ってきます!!」

久我は叫んだ。

自分の論理が、現実を食い破ってしまったことに気づかないまま。

彼は完璧すぎたのだ。この狂った世界の「入社試験」をパスしてしまうほどに。

熱砂の風が、彼のブランドスーツを激しくはためかせた。

ここからが、本当の業務(ワーク)だ。

(終)


「いかがでしたか。 彼は面接で『どんな環境でも成果を出す』と豪語しました。 その言葉に嘘がなければ、きっとソマリアの荒野に、1万本のペンで書かれた手紙が舞う日が来ることでしょう。 ただし、彼が『人間』として帰ってこられるかどうかは……また別の話。言葉には気をつけましょう。 特に、契約の判を押す前にはね。それではまた、奇妙な世界でお会いしましょう」