短編小説『午前二時のテディベア』

残業続きで、日付が変わってからようやく最終電車で最寄り駅に帰り着いた金曜日の深夜。

美咲(みさき)は、ため息と一緒に重たい鞄を抱え、アパート近くのコインランドリーに足を踏み入れた。

二十四時間営業の店内は、白い蛍光灯の下で静まり返っている。他に客はいない。回っている洗濯乾燥機の低いモーター音だけが、疲れ切った体に染み渡るようだった。

美咲がここを利用するのは、決まって深夜だ。誰とも会わずに済むこの時間帯が、唯一の心休まるひとときだった。

しかし、今夜は先客がいた。

一番奥の大型乾燥機の前で、一人の男が腕組みをして仁王立ちしている。

四十代くらいだろうか。短く刈り込んだ髪に、黒い革ジャン。がっしりとした体格で、近づきがたい雰囲気を漂わせている。

美咲はなるべく音を立てないように、入り口近くの洗濯乾燥機に自分の服を放り込んだ。関わってはいけないタイプだ。スマホに視線を落とし、存在を消そうと努める。

だが、男の行動が、視界の端にどうしても入ってくる。

男は、足元に置いた大きなゴミ袋から、何かを鷲掴みにしては、乾燥機の中に放り込んでいた。

一つ、二つ、三つ……。

それは、ぬいぐるみだった。

それも、かなり年季が入っている。薄汚れて色がくすんだウサギ、片目が取れかけたクマ、綿が飛び出した犬。どれもこれも、ゴミ捨て場から拾ってきたようなボロボロの状態だ。

(な、何してるの……?)

強面の男と、大量のボロボロなぬいぐるみ。その組み合わせの異様さに、美咲の背筋が少し寒くなった。

男は持ってきたぬいぐるみを全て投入すると、硬貨を入れ、乱暴にスタートボタンを押した。

ゴウン、ゴウンと乾燥機が回り始める。ガラス窓の向こうで、薄汚れた動物たちが、ぐるぐると回されているのが見える。

男はパイプ椅子にドカッと座り、貧乏ゆすりを始めた。

美咲は、自分の洗濯乾燥機が終わるまでの長い時間、息を潜めているしかなかった。その時だ。

ピーッ、ピーッ、ピーッ!

突然、男が使っていた乾燥機が甲高い警告音を鳴らして停止した。エラー表示の赤いランプが点滅している。

「……ちっ、マジかよ」

男の低い声が響いた。男は舌打ちをしながら、乾燥機の扉を開けた。

中から、熱気とともに、湿ったぬいぐるみが雪崩のように溢れ出した。どうやら詰め込みすぎて、安全装置が働いたらしい。

男は慌ててそれらを拾い上げようとしたが、その拍子に、クマのぬいぐるみの脇腹が大きく裂け、中から白い綿がぼろっとこぼれ落ちた。

男の動きが止まった。

その背中から、怒りや苛立ちとは違う、深い落胆のようなものが伝わってきた。

見て見ぬふりができず、美咲はおずおずと声をかけた。

「あの……大丈夫ですか?」

男は振り返り、美咲を見た。近くで見るとますます厳つい顔立ちだったが、その瞳はどこか戸惑っているように見えた。

「……参ったな。明日の朝までに、乾かしとかねえといけねえのに」

「それ、量が多すぎたんじゃないですか?」

美咲が指摘すると、男はバツが悪そうに頭をかいた。

「ああ。でもよ、いっぺんにやんねえと間に合わなくてな」

男は裂けてしまったクマの脇腹を、太い指先で不器用に押さえている。

「あの、よかったら、これ使いますか?」

美咲は鞄から、携帯用の小さなソーイングセットを取り出した。服のボタンが取れた時のために、いつも持ち歩いているものだ。

男は驚いたように美咲と、小さな針と糸のセットを交互に見た。

「……あんた、いいのか? 俺、こういうの苦手でよ」

美咲は小さく頷き、男の隣にしゃがみ込んだ。

「貸してください。私がやります」

美咲が針に糸を通し、クマの脇腹を縫い合わせている間、男は借りてきた猫のように大人しくなっていた。

チクチクと針を進める静かな時間の中、男がぽつりと口を開いた。

「……こいつら、施設のガキどものなんだよ」

「施設?」

「ああ。俺、児童養護施設で働いててな。昼間は泥んこになって遊ぶし、夜は抱きしめて寝るから、洗う暇がねえんだ。だから子供らが寝静まった夜中に、こうしてこっそり持ち出してくるんだわ」

男は、床に散らばる他のぬいぐるみたちに優しい目を向けた。

「どいつもこいつもボロボロだろ? でも、これがないと、安心して眠れねえ子も多いんだよ」

美咲の手が止まった。

さっきまで「不気味なゴミ」に見えていたボロボロのぬいぐるみたちが、急に、子供たちの切実な愛着の塊に見えてきた。

そして、目の前の強面の男が、深夜にこっそりサンタクロースの代わりをしている優しい職員さんに見えてきた。

「……そうだったんですね。ごめんなさい、私、ちょっとびっくりしちゃって」

「はは、よく言われるよ。このナリだしな。夜中にぬいぐるみ抱えてウロウロしてたら、そりゃ怪しいわな」

男は照れくさそうに笑った。

クマの修理が終わると、二人は手分けして、今度は適量ずつ、ぬいぐるみを二つの乾燥機に分けて入れた。

しばらくして、乾燥が終わったブザーが鳴った。

男が扉を開けると、ふわふわになったぬいぐるみたちが、ほかほかの湯気と一緒に出てきた。お日様のような、優しい石鹸の香りが深夜のコインランドリーを満たした。

「助かったよ、姉ちゃん。これでアイツら、明日もいい夢見れるわ」

男は綺麗になったぬいぐるみを袋に丁寧に詰め込むと、深々と頭を下げて去っていった。

一人残された美咲は、ベンチに座り、まだ回り続けている自分の洗濯乾燥機が終わるのを待った。

店内にはまだ、温かくて優しい香りが残っている。

美咲は大きく深呼吸をした。

明日も仕事は大変だろう。でも不思議と、ただ一人で息をつくためだけにあったこの空間が、今は少しだけ温かい場所に思えた。

今夜は、優しい気持ちで眠れそうな気がした。

(了)