私の財布という名の「男社会」において、彼女は常に浮いている。
津田梅子。
女子教育の先駆者にして、この令和の世に紫色の衣を纏(まと)って現れた五千円札の主。
彼女の居心地は、どう見ても悪そうだ。
奥の部屋には、資本主義の権化である渋沢栄一がどっかりと胡座(あぐら)をかいている。
手前の部屋には、細菌殲滅(せんめつ)の使命に燃える北里柴三郎たちが、今か今かと出撃の時を待ってひしめき合っている。
その狭間で、彼女は一人、凛とした表情を崩さずに佇んでいる。
だが、その視線はどこか遠く、私の財布の窮屈な革の縫い目を通り越して、アメリカの彼方を見つめているようにさえ見える。
彼女の扱いは、非常に難しい。
私はタクシーの後部座席で、深夜の首都高を流れる街灯を眺めながら、手元の財布を握りしめていた。メーターは三千二百円を表示している。
ここだ。ここが、彼女の「戦場」だ。
渋沢栄一を出すのは憚(はばか)られる。深夜のタクシー運転手に対し、一万円札を突きつけて「釣り銭をよこせ」と迫るのは、紳士の振る舞いではない。かといって、北里柴三郎を四人も動員するのは、戦力の逐次投入のようでスマートさに欠ける。
そこで、津田梅子の出番となる。
だが、私はいつも彼女を取り出す瞬間に、一瞬の躊躇(ためら)いを覚えるのだ。
彼女は、本来こういった「俗な支払い」に馴染まない空気を纏っている。
飲み代の精算、タクシーの運賃、ちょっとした贈答品。
五千円という額面は、日常と非日常の境界線にある。生活感にまみれた千円とも、絶対的な力を誇る一万円とも違う、ある種の「教養」や「品位」を試される金額だ。
そんな高潔な彼女を、私は今、薄暗い車内で、疲れた中年運転手のゴツゴツした手に渡そうとしている。
「五千円からで、よろしいですか」
運転手の声は事務的だ。
私は財布から彼女を引き抜く。その瞬間、津田梅子と目が合う――いや、合わない。
そう、彼女の肖像は、真正面を向いていない。
渋沢や北里が、こちらを、あるいは真理を見据えているのに対し、彼女だけはふいっと視線を逸らしているように見える。それはまるで、「このような場所で私を使わないでいただきたい」という、無言の拒絶であり、高貴な諦念(ていねん)のようでもあった。
教育の発展を願った彼女が、まさか深夜のタクシー代として消費されるとは夢にも思わなかっただろう。
「はい、お釣り、千八百円ね」
運転手が彼女を奪い取り、代わりに一人の北里柴三郎と、硬貨の群れを私の手に押し付けた。
質が、量へと変換された瞬間だった。
気高い紫色の貴婦人は、釣銭トレイの向こう側へと姿を消し、私の手元には再び、戦う男たちの汗臭い現実だけが残った。
タクシーを降りる。
冷たい夜風が頬を撫でる。
財布は少しだけ厚みを増したが、その品格は決定的に損なわれた気がした。
私は北里柴三郎をポケットにねじ込みながら、遠ざかるタクシーの赤いテールランプを見送った。あの中に連れ去られた津田梅子は、今頃、運転手の売上袋の中で、他の野蛮な男たちに囲まれながら、やはり視線を逸らして溜息をついているに違いない。
「すみませんね、本当に」
誰に対する謝罪かわからない言葉を呟き、私は深夜の住宅街を歩き出した。
彼女が再び私の財布に帰ってくるのは、いつになるだろうか。その時まで、私が少しでも、あの高潔な視線に見合う人間に成長しているという保証は、どこにもなかった。
(終)
著:沖田史郎