短編小説『選ばない男』

あるところに、ひとりの男がいました。

彼はコンピュータのシステムを作る仕事をしており、真面目で、仕事熱心な男でした。

彼には、仕事柄どうしても抜け出せない「やっかいな癖」がありました。

それは、「A」か「B」か、どちらかを選べと言われたとき、必ず「それ以外」の可能性を考えてしまうことでした。

彼が相手にしているコンピュータという機械は、とても融通が利かないものです。

「右に行け」「左に行け」とだけ命令しておくと、「行き止まり」だった時に固まって動かなくなってしまいます。だから彼は常に、「右でも左でもなかった場合、どうするか」という「想定外への備え」を用意しておくのが鉄則でした。

彼はその習慣を、そのまま日常生活にも持ち込んでしまったのです。

まさかそれが、彼の運命を大きく変えることになるとは知らずに……。


その「癖」のせいで、彼の私生活は波乱万丈でした。

レストランで「食後はコーヒーになさいますか? 紅茶になさいますか?」と聞かれれば、彼は真顔で「白湯(さゆ)をください」と答えます。店員は困惑しますが、彼にとっては「カフェインを摂りたくない」という第三の正解なのです。

そしてある日、長年付き合った恋人が彼に詰め寄りました。

「もう私、結婚を待てないの。仕事と私、どっちが大事なの? はっきり答えて!」

普通の男性なら、冷や汗をかきながらどちらかを選ぶか、嘘でも「君だ」と言う場面です。しかし、彼の脳内では冷静な計算が走りました。

(仕事を失えば収入がなくなり彼女を養えない。彼女を失えば精神的安定を欠き仕事ができない。二択で答えるのは矛盾している……)

彼は真顔でこう答えました。

「その二つは比べられないな。第三の選択肢として『現状の維持による共存』、もしくは『事実婚の状態で隣のマンションに住み、週末だけ新鮮な気持ちで会う関係』というのはどうだろう?」

彼女は無言で彼に強烈な平手打ちを食らわせ、去っていきました。彼は赤くなった頬をさすりながら、「ふむ、暴力という第四の選択肢があったか」と呟いただけで、反省の色はありませんでした。


そんな彼に、本当の命の危機が訪れたのは、深夜のコンビニへ夜食を買いに出かけたときのことでした。

運悪く、銀行強盗団の逃走劇に巻き込まれてしまったのです。警察に包囲された犯人は、人質にとった彼の体にプラスチック爆弾を巻き付けました。

犯人は逃走用の裏口へ走り去り、手元には時限装置が作動した爆弾だけが残されました。

残り時間は10秒。

目の前には、赤と青、二本のコードが伸びています。

駆けつけた警察の特殊部隊が窓の外から叫びました。

「おい! どっちだ! 映画なら赤を切れば助かるが、青の場合もある! どっちか選んで切れ!」

赤か、青か。

人生最大の二択です。

汗が目に入ります。しかし、彼の「癖」が、震える手の中で覚醒しました。

(作った奴は、「赤を切れば爆発」「青を切れば停止」あるいはその逆を作ったつもりだろう。だが、もし設計ミスがあったら? 配線が罠だったら?)

残り3秒。

赤でもない。青でもない。

彼は爆弾の裏蓋を強引にこじ開けました。そこには、複雑な配線とは関係なさそうな、単なる「電池ボックス」がありました。

「これだ!」

彼は赤と青のコードを無視し、指を突っ込んで、電源となっている乾電池をくるくると回し、強引に引っこ抜きました。

プスン……。

タイマーの数字が消えました。

赤を切るか、青を切るか。そんな心理戦の土俵にすら乗らず、彼は「コンセントを抜く」のと同じ、子供でも思いつくけれど大人が忘れていた第三の方法で生き残ったのです。


その後も彼は、「AかBか」の選択をすべて回避し続け、不思議な人生を送り、やがて安らかに天寿を全うしました。

彼が次に目を開けると、そこは真っ白な雲の上でした。

目の前には大きな二つの扉があります。

一つはキラキラ輝く「天国」への扉。

もう一つは炎が燃え盛る「地獄」への扉。

扉の前には、長い髭をたくわえた神様が立っていました。神様は厳かに告げました。

「よく来たな。お前は善人とも言えないが、悪人というほどでもない。だから特別に選ばせてやろう。右の天国に行きたいか? 左の地獄に行きたいか? さあ、選べ」

神様は「これで迷う奴はいないだろう」という顔をしていました。

しかし、彼は腕を組んで考え込みました。

「天国は退屈そうだし、地獄は熱そうだ」

「いやいや、どっちか選べよ。それ以外の道はないんだから」と神様は急かします。

「本当にそうでしょうか?」

彼は二つの扉の間にある、何もない「壁」に近づきました。そして、コンコンと指で叩き始めました。

神様は慌てました。

「おい、そこは何もないぞ! ただの背景だ! 触るな!」

「いいえ、どんな立派な建物にも、従業員用の通路があるはずです」

彼は壁紙の継ぎ目のような部分を見つけ、爪を引っ掛けてビリリと破りました。

するとそこには、薄暗い小さなドアが隠されていたのです。

「あっ! それは我々の休憩室……!」

神様が止めるのも聞かず、彼はそのドアを開けて中に入ってしまいました。

そこには、脱ぎ捨てられた天使の輪や、神様が休憩中に食べるお菓子、そして「世界管理システム」と書かれた巨大なスイッチがありました。

彼は満足そうに頷きました。

「やっぱりあった。天国でも地獄でもない、第三の場所が」

神様は頭を抱えて言いました。

「お前なぁ……そこに入られたら困るんだよ。仕方ない、特別採用だ」

「採用?」

「ああ。天国に行かせるのも違うし、地獄も違う。お前みたいなひねくれ者は、ここで世界の『想定外のトラブル』を見つける係になれ。つまり、私の助手だ」

神様は、彼に新しい選択肢を与えました。

「さあ、この世界の管理を永遠に手伝うか、それとも大人しく消滅するか。どっちだ?」

彼はニヤリと笑い、そして言いました。

「その労働条件についてですが、週休二日制か、フレックス制か。第三の働き方を提案してもいいですか?」

神様が彼を雷で打ったかどうかは、誰も知りません。

ただ、今の世の中、予想もつかないような変なことが起きるのは、きっと彼が空の上で、神様も知らない「第三のボタン」を押し続けているからなのかもしれません。

(おわり)