むかしむかし、ある静かな里の山寺に、源翁(げんおう)という徳の高い和尚様がおられました。
ある日の暮れ方、この寺に一人の侍がやってきました。名を、疾風(はやて)の次郎左衛門といいます。剣の腕は立つものの、世の中は泰平そのもの。手柄を立てる戦(いくさ)もなく、次郎左衛門は毎日が退屈で退屈で、心の中にいつも冷たい風が吹いているような不満を抱えておりました。
次郎左衛門は、縁側でお茶をすする和尚様の隣にドカッと座り込むと、大きなため息をつきました。
「和尚様、拙者はもう、この『何もない日々』には飽き飽きいたした。戦があれば手柄も立てられよう、商いをすれば大金も掴めよう。しかし、昨日は今日と同じ、明日もまた今日と同じ。……生きているのか死んでいるのか分からぬような、張り合いのない毎日でござるよ」
和尚様は、湯飲みの湯気をふわりと吹き、穏やかな目で侍を見つめました。
「次郎左衛門殿、そなたは『幸せ』になりたいのですな」
「無論でござる! 何かこう、胸が躍るような、生きた心地がするような喜びが欲しいのです」
「ふむ……。では次郎左衛門殿、ちと深呼吸をしてみなされ」
「は? 深呼吸、でござるか?」
侍は怪訝な顔をしながらも、言われた通りに大きく息を吸い、そして吐きました。
「どうじゃ、今のひと呼吸に、飛び上がるほどの喜びを感じたかな?」
「まさか。ただ空気を吸って吐いただけ。当たり前のことでござる」
和尚様はにっこりと笑いました。
「左様。当たり前じゃな。では、もし何者かがそなたの口と鼻を塞ぎ、水の中に押さえつけたとしたらどうじゃ? 一分も経てば、そなたは『ただひと息吸いたい』と、死に物狂いで願うじゃろう。そして、ようやく吸えたそのひと息に、この上ない幸せを感じるはずじゃ」
「それは……苦しい思いをした後なら、そうでございましょうな」
「しかしな、次郎左衛門殿。本来、空気とはそういうものじゃ。吸うのに苦労している時は『幸せ』だと感じるが、何事もなく吸えている時は、その存在すら忘れておる。
わしは思うのじゃが、『吸っていることを忘れている状態』こそが、本当の幸せなのではないかな?」
侍は少し眉をひそめました。
「忘れているのが、幸せ……?」
「金子(かね)も同じじゃよ」和尚様は続けました。「そなたは俸禄(給金)が増えれば嬉しいと言う。しかし、増えて喜ぶ者は、減れば恐れるものじゃ。それは金子に心を縛られておる証拠。
真に豊かな者とは、蔵にいくらあるかを忘れ、増えようが減ろうが心が揺らがぬ者じゃ。ちょうど、川に水が流れているのを気に留めぬようにな」
「……」
「体もそうじゃな。次郎左衛門殿、今、自分の『胃の腑』がどこにあるか、感じておるか?」
「いえ、痛くも痒くもないゆえ、腹の中にあるはずとしか……」
「それが『健康』という名の幸せじゃ。病を得た者は、一日中、痛む臓器のことばかり考えて暮らす。しかし、健やかなる時は、体のことなど忘れて生きておる。
『無い』かのように感じられることこそ、全てが満ち足りて、滑らかに運んでおる証(あかし)じゃよ」
侍は腕組みをして、庭の彼方、夕焼けに染まる山々をじっと見つめました。
「拙者は……幸せとは、何かを手に入れて『やった!』と叫ぶようなことだと思っておりました」
「それは『興奮』じゃな。興奮はすぐに冷める。そしてまた次が欲しくなる。
本当の幸せとは、もっと静かで、透明なものじゃ。
息をしていることを忘れ、体のことを忘れ、金のことを忘れ……。
『自分』という意識すら忘れて、ただ、この夕暮れの美しさに溶け込んでいる状態。
それを『退屈』と呼んで捨てるか、『平穏』と呼んで味わうか。そこに、鬼と仏ほどの違いがあるのじゃよ」
和尚様はそう言って、ズズズとお茶をすすりました。
次郎左衛門もまた、自分の茶碗を手に取りました。
何も特別なことは起きていない。ただ、ヒグラシが鳴き、風が頬を撫でていくだけ。
しかし、その「何事もなさ」が、実は何万もの奇跡的な均衡の上に成り立っていることに、侍は初めて思いを馳せました。
どこも痛くない体。
明日の食い扶持の心配をしなくてよい暮らし。
そして、こうして静かにお茶を飲める夕暮れ。
「……和尚様」
「なんじゃな」
「この茶、うもうございますな」
「そうじゃろう。何の変哲もない番茶じゃがな」
侍は、茶碗の中に映った自分の顔を見つめ、小さく微笑みました。
退屈だと思っていた日常が、急に、壊れ物のように愛おしく、そしてありがたいものに感じられたのです。
「かたじけない。拙者はどうやら、幸せの真ん中にいながら、幸せを探して駆けずり回っていたようでござる」
山寺の鐘が、ゴーンと一つ、鳴り響きました。
その音は、何事もない一日の終わりを告げる、深く、温かい音でした。
(おわり)