「マジ無理。……もう、身体が悲鳴上げてる」
夕日が差し込む放課後の教室。
窓際の一番いい席で、アタシこと**葵(あおい)**は、机に突っ伏して呻いた。
「わかるー。アタシも昨日、ダンス張り切りすぎちゃってさ。もう腰とかガタガタなんだけど」
向かいの席で、凛(りん)が長い黒髪を指に絡めながら同意する。
凛はクラスでも一目置かれるクールビューティーで、成績も優秀だ。昨日なんて、難解な漢字テストで満点を叩き出して、先生たちをビビらせていた。
そんな彼女でも、ここ全寮制・白百合学園のハードなカリキュラムには参っているらしい。
「ねえねえ、ふたりともぉ。……甘いもの、食べたくない?」
おっとり口調で割り込んできたのは、小柄なマスコット的存在、すずだ。
その一言に、アタシと凛はバッと顔を上げた。
「それな!!」
アタシはバン! と机を叩く。
「ここの食事、ヘルシー志向なのはいいけどさぁ。マジでパンチ足りなくない? 昨日のディナーなんて、白身魚と煮物だよ? 煮物って! アタシら育ち盛りなんですけど!」
「ビタミンとかカルシウムとか、バランスばっかり。……もっとこう、脳みそが溶けるような糖分が欲しいのよ」
凛が目を細めて、遠くを見るような顔をした。
「雪見だいふく……」
すずが、うわごとのように呟く。
「あのもちもちの求肥(ぎゅうひ)に包まれた、冷たいバニラ……。ああ、想像しただけで沼……尊い……」
ゴクリ。3人の喉が同時に鳴った。
アタシは決意を固めたように立ち上がった。
「決まりね。……今夜、決行よ」
「マジで? 『鬼瓦(おにがわら)』に見つかったら停学よ?」
すずが怯えたように言う。
鬼瓦とは、この女子寮を取り仕切る最強の寮母だ。アタシたちの行動すべてに目を光らせる、ラスボス級の存在である。
「ビビってんの、すず? ……JKのアオハルは短いんだから。食べたい時に食べなきゃ、一生後悔するわよ」
アタシの挑発に、凛はフッと口角を上げた。
「……上等じゃない。乗ったわ。その代わり、準備は万全にしないとね」
凛はスカートのポケットから、銀色の袋を取り出した。独特のスーッとしたハーブの香りが漂う。
「ジャーン。……保健室の先生を丸め込んでゲットした、**『魔法のシール』**よ」
「うそ! あの貼るだけで疲れが吹き飛ぶって噂の!?」
すずが目を輝かせる。
「これさえあれば、あの『長い廊下』だって全力疾走できるわ。ワンチャン、レコード更新も狙えるかもね」
「さすが凛ちゃん! 準備いい~!」
「よし!」
アタシは拳を突き上げた。
「作戦開始は21時! 消灯の合図と共に、私たちは自由を掴み取る!」
「「オーッ!!」」
***
21時00分。
消灯ラッパ(放送)と共に、ここ全寮制・白百合学園は静寂に包まれた。
アタシたちは部屋を抜け出し、暗い廊下へと躍り出た。
「いい? ここからはステルスミッションよ。センサーには気をつけて」
凛が小声で指示を出す。
この女子寮はセキュリティがエグい。床に少しでも体重をかけると反応する「踏み込みセンサー」があちこちに仕掛けられているのだ。
私たちは忍者のように、すり足で慎重に進む。
「……あ、ヤバい。前方から人影」
すずが小さく悲鳴を上げた。
廊下の向こうから、懐中電灯の光が近づいてくる。
あれは……ショウ君だ!
今年入ってきたばかりの新人スタッフ。爽やかイケメンで、ビジュが良すぎるため、女子寮内でもファンが多い。
「どうする葵ちゃん! 見つかったら終わりよ!」
「落ち着いて。……ここはアタシに任せて」
アタシは覚悟を決めると、壁際にあえて身を投げ出した。
「……うぅ~ん、むにゃむにゃ……」
寝ぼけたふりをして、ショウ君の通り道に立ちはだかる。
「おっと! ……あ、葵さん? どうしました? こんなところで」
ショウ君が慌てて駆け寄ってくる。その腕が、優しくアタシの身体を支えた。
(……ちっか! 顔ちっか!! バブみ強くて最高なんですけど!)
アタシは心の中でガッツポーズをしつつ、上目遣いで彼を見上げた。
「……あら、ショウ君? ごめんなさい、ちょっと夢遊病かしら……ふらふらしてて……」
「危ないですよ。部屋まで送りますね」
「いいのいいの! ちょっとトイレに行きたいだけだから! ……ね? 見逃して?」
アタシは必殺のウィンクを放った。
ショウ君は一瞬キョトンとして、それから苦笑した。
「……わかりました。気をつけてくださいね。転ばないように」
チョロい!
やっぱりイケメンは優しさがカンストしている。
ショウ君が去った後、物陰から凛とすずが出てきた。
「やるじゃない、葵。魔性の女ね」
「伊達に長くJKやってないわよ」
最大のピンチを切り抜けた私たちは、ついに玄関へと続く**「心臓破りの長い廊下」**に到達した。
全長50メートル。
普段なら、途中で息が切れて休憩を入れる距離だ。
だが、今の私たちには凛がくれた『魔法のシール』がある。腰とふくらはぎに貼ったそのシートが、ジンジンと熱を発し、無限のパワーをくれている気がした。
「行くわよ! 全力ダッシュ!!」
「うおおおおお!」
私たちは風になった。
廊下を駆け抜け、自動ドアのセンサーを突破し、夜の街へと飛び出す。
冷たい夜風が、火照った肌に心地いい。
これが、自由の匂いだ!
目の前には、煌々と輝くコンビニエンスストアの明かり。
その光はまるで、私たちを祝福するスポットライトのようだ。
「あった……! 聖地(コンビニ)よ!」
「雪見だいふく~! 待っててね~!」
すずが涙ぐんでいる。
私たち3人は、勝利を確信してコンビニの入り口へと殺到した。
「勝利の宴よ! さあ、開けゴマ!」
しかし。
その時、予期せぬ事態が起きた。
……開かない。
自動ドアが、ピクリとも動かないのだ。
「えっ? なんで?」
アタシはドアの前で手を振ってみた。反応なし。
凛がステップを踏んでみた。反応なし。
すずがドアに張り付いてみた。やっぱり反応なし。
「うそでしょ……故障?」
「まさか……」
凛が青ざめた顔で呟く。
「私たちの『生体エネルギー(オーラ)』……、機械に感知されないほど薄くなってるの……!?」
「そんなバカな! アタシたち、今こんなに青春してるのに!?」
アタシは叫んだ。
目の前には、ガラス一枚隔てて、憧れの雪見だいふくが眠る冷凍庫が見えている。
なのに、入れない。
近くて遠い、残酷な境界線。
「――こらああああ!! 葵さぁぁぁん!! 凛さぁぁん!! すずさぁぁん!!」
背後から、地獄の底から響くような怒号が聞こえた。
振り返ると、そこにはジャージ姿で仁王立ちする、最強の寮母・鬼瓦が立っていた。
手には懐中電灯。背景には雷雲が見える。
「げっ……詰んだ」
私たちの放課後大脱走は、コンビニの自動ドア前で、あえなくゲームセットを迎えたのだった。
(後編へつづく)

