初夏の日差しが心地よくなってきた頃。私は庭の家庭菜園で、腕組みをして首をひねっていた。
丹精込めて育てているイチゴが、ここ数日、毎朝「盗み食い」されているのだ。
しかも、その手口がどうにも奇妙だった。畑が荒らされているわけではない。実が全部なくなっているわけでもない。
ただ、たくさんあるイチゴの中で「一番赤くて甘そうな実」の先端だけが、ほんの一口、小さくかじられているのだ。
カラスなら、もっと乱暴に突っつくはずだ。
ハクビシンやタヌキなら、葉っぱごと丸呑みにしてしまうだろう。
こんなに上品で、かつ「一番美味しいところ」だけを的確に狙う泥棒の正体が、私には全く見当がつかなかった。
「いったい、どんなグルメな奴が来ているんだ……」
その週末。私は犯人の正体を突き止めるべく、早起きをして縁側に身を潜めた。
手には淹れたてのコーヒー。朝の空気は澄んでいて、庭の緑が朝露にキラキラと輝いている。
一時間が経ち、二時間が経った。
鳥のさえずりが賑やかになってきた頃、庭の隅にある植え込みの葉が、カサリと揺れた。
(来た!)
私は息を潜め、目を凝らした。
そこから現れたのは、凶悪な害獣でも、すばしっこい野鳥でもなかった。
丸くて平べったい甲羅。
短い手足。
のんびりとした足取り。
一匹の、小さな亀だった。
亀は、まるで休日の散歩でも楽しむかのように、ゆっくり、ゆっくりと芝生を横切っていく。
数歩進んでは立ち止まり、首を伸ばして辺りを見回し、また数歩進む。
イチゴの畝(うね)にたどり着くまでに、たっぷり二十分はかかっていただろう。
亀は、赤々と実ったイチゴを下から見上げると、じっくりと品定めを始めた。
そして、地面に一番近くて、一番熟している実を見つけると、短い首をスッと伸ばした。
サクッ。
静かな庭に、小さな音が響いた。
亀は先端の甘い部分を一口だけかじると、モグモグと満足そうに口を動かした。
(……えっ、それでおしまい?)
私は心の中で突っ込んだ。
亀はもう一口食べるでもなく、他のイチゴに手を伸ばすでもなく、ただ「最高の一口」を味わい尽くすと、くるりと背を向けた。
そしてまた、二十分という長い時間をかけて、元来た植え込みへと帰っていったのだ。
あまりのマイペースさと、その上品な振る舞いに、私はすっかり毒気を抜かれてしまった。
彼にとって、あの「一番美味しい一口」を手に入れるための大冒険は、毎朝の優雅な日課なのだろう。あんなに一生懸命歩いてきて、一口だけ食べて満足して帰っていく姿を見たら、とても怒る気にはなれなかった。
翌朝。
私は庭に出て、一番赤くて大きなイチゴを一つ摘み取った。
そして、植え込みのすぐ近くにある平らな石の上に、それをそっと置いた。
「片道二十分は、ちょっと遠すぎるからな」
縁側に座り、私は温かいお茶をすする。
今日も良い天気だ。
しばらくすると、植え込みからカサカサと音がして、丸い甲羅が姿を現した。
亀は目の前に置かれたイチゴに気づくと、少しだけ首を傾げるような仕草をしてから、サクッと一口かじった。
私はその様子を眺めながら、思わずふふっと笑ってしまった。
私の庭には今、世界で一番のんびり屋で、一番贅沢な美食家が通ってきている。
(了)