「ところ変われば品変わる」とは世の常。この男もまた、ある時は不思議な椅子、ある時は鳴らぬ風鈴と、行く先々で手を変え品を変え、数多の客を煙に巻いてきた。
だが、学問と法が支配するこの北の都において、彼があえて選んだ商品は、自身の代名詞とも言えるあの「原点」であった。
市場の一角に、またしてもあの甲高い声が響き渡る。
「さあさあ、お立ち会い!
本日は、我が家の蔵に眠りし至高の武具、天下無双の『矛(ほこ)』と『盾(たて)』を持ってまいりました!」
商人の前には、いつものように黒山の人だかり。旅慣れた商人は、客層を見て取るや、この街に合わせた口上を滑らかに繰り出した。
「ご覧ください、この矛! 先端には南蛮渡来の特殊な鋼(はがね)を使用。その鋭さたるや、あらゆる鎧、あらゆる盾を豆腐のように貫く! 物理の理(ことわり)を超えた貫通力でございます!
そしてこちらの盾! これまた北方の神鉄を使用し、あらゆる衝撃を無に帰す。どんな強烈な突きも、この盾の前では赤子の拳(こぶし)同然! 鉄壁、不動、完全なる防御でございます!」
観衆からは「おおっ」とどよめきが上がる。だが、この街の人々は賢かった。すぐに誰かが声を上げる。
「おい商人。その『貫く矛』で『防ぐ盾』を突いたらどうなるんだ?」
待ってました、と言わんばかりに商人は胸を張る。
「良い質問です! その場合は、どちらかの性能が上回るでしょう。
しかし! 私はこの商品に絶対の自信を持っております。もし万が一、矛が折れたなら、その代金をお返ししましょう。逆に盾が突き破られたなら、盾の代金をお返しします。
つまり、お客様には一切の損はさせない! これが私の『完全保証』でございます!」
なるほど、損がないなら面白い。観衆が財布の紐を緩めかけた、その時だった。
「待て」
冷ややかで、しかしよく通る声が市場の熱気を切り裂いた。
人波が割れ、豪奢な絹の衣をまとった数人の男たちが現れる。中心に立つのは、細面に眼鏡をかけた、いかにも切れ者といった風情の男。この都の財政を取り仕切る高位の文官であった。
「お役人様だ……」
人々が恐縮して道を空ける中、文官は商人の前に進み出ると、鼻先で笑った。
「そのほう、威勢が良いな。『完全保証』と言ったか?」
「は、はい。左様でございます」
「ふむ。論理的に考えれば、その矛と盾を突き合わせれば、どちらかが壊れる。あるいは両方壊れることもあるだろう。
お主は『壊れた方を買い取る』と言ったな? では、両方壊れたらどうする?」
商人は少し大げさに首を傾げた。
「その時は……ええ、私の面目にかけて、両方を定価で買い戻させていただきましょう」
その言葉を聞いた瞬間、文官の目が鋭く光った。罠にかかった獲物を見る目だ。
「言質(げんち)を取ったぞ。
おい、者ども! この商人の荷車にある矛と盾、すべて検分せよ!」
従者たちが一斉に商品を囲む。文官は商人に指を突きつけた。
「盾と矛を両方購入して盾に矛を突き、壊れたほうを定価で買い取るというお主の言い分は分かった。
それなら集められるだけ集めるとよい。全て買い取ってやろう。
そして、全ての矛で全ての盾を突き、壊れたものはそちらに送り返す。両方壊れれば両方の金を払ってもらうぞ。
どうせ、どちらも大した品ではあるまい。全て壊れるに決まっている」
文官は勝ち誇った顔で周囲を見渡した。
「この男の在庫が尽き、買い戻し資金が底をつくまで、国中の武器を集めてこい!
この市場にはびこる詐欺まがいの商法、私が論理と資金力で根絶やしにしてくれるわ!」
市場は水を打ったように静まり返った。
これまで数々の難客を煙に巻いてきた商人の口が、今日ばかりは塞がれたかに見えた。相手は感情に流される浪人ではない。国の法律と、莫大な財源を背後に持つ、冷徹なエリート官僚だ。
商人の「完全保証」を逆手に取り、大量購入と大量返品で破産させる。完璧な論理的攻撃だった。
商人は、ゆっくりと瞬きをした。一度、二度。
そして、これ以上ないほど深く、恭しく頭を下げたのである。
「……おそれいりました」
「ほう、観念したか」
「いえ、感動いたしました!」
商人はバッと顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。その瞳は、文官でさえひるむほどギラギラと輝いている。
「さすがは都の叡智(えいち)、お役人様だ! まさか、私の真の意図をそこまで完璧に見抜かれるとは!」
「……真の意図だと?」文官が眉をひそめる。
「ええ、ええ! 左様でございますとも! もし最強の矛と最強の盾がぶつかり、その両方が砕け散ったなら、そこには何が残るでしょう?」
商人は大げさに両手を広げ、市場の空を仰いだ。
「『武器の消滅』でございます!
争いの道具が互いに力を打ち消し合い、この世から消え去る。これぞ、我が国が目指す究極の『太平の世』の象徴ではありませんか!」
「な……」
「皆様、お聞きになりましたか!」商人は聴衆に向かって叫んだ。
「この素晴らしいお役人様は、単に武器の性能を試すなどという低俗な遊びをしようとしているのではない!
この都にある全ての武器を買い上げ、それらを互いにぶつけ合わせて粉砕し、この地に永遠の平和をもたらすという、前代未聞の『大平和祈願の儀式』を執り行おうとおっしゃっているのです!」
市場の空気が一変した。「おおっ!」「なんとありがたい!」「さすがはお上だ!」と、先ほどまで文官を恐れていた人々から、称賛の声が上がり始めた。
文官は狼狽した。「ま、待て! 私はそんなつもりでは……私はただ、お前の詐欺を……」
「おっと、ご謙遜を!」商人は文官の言葉を遮り、畳み掛ける。「その高邁(こうまい)な精神、この商売人、心底惚れ込みました!
ええ、約束通り、砕け散った矛と盾の残骸は、全て私が定価で買い取らせていただきましょう! それが平和への礎(いしずえ)となるならば、安いものです!」
完全に主導権を握り返した商人は、懐から分厚い帳面と筆を取り出し、ニヤリと笑った。
「つきましては、お役人様。国庫からそれだけの予算を動かし、かつ、大量の『破損品買戻し請求』を行うとなれば、当然、相応の『手続き』が必要になりますなぁ」
商人は帳面をパラパラとめくり、気の遠くなるような細かい文字の羅列を指さした。
「まず、買い上げる全ての矛と盾の製造番号と品質証明書の提出。
次に、衝突実験一回ごとの詳細な破損状況報告書。
そして、それら全てに、関連部署十か所の決裁印と、大臣の最終承認印をいただいた『公的払い戻し申請書類』を、破損品一つにつき三部ずつ作成していただかねばなりません。
ざっと見積もって、書類だけで荷馬車五台分にはなりましょうか。
さあお役人様! 平和のために、まずはこの膨大な書類仕事から始めようではありませんか!」
文官の顔から、サーッと血の気が引いていった。
理屈で勝てても、この男の作り出す「屁理屈の迷宮」と「手続きの地獄」には勝てそうになかった。役人である彼が一番よく知っている。それだけの書類を作る手間賃は、戻ってくる金よりも遥かに高くつくことを。
「……た、たわけ者! 誰がそのような……ええい、撤収だ! 撤収!」
顔を真っ赤にした文官は、逃げるようにその場を立ち去った。
後に残ったのは、観衆の爆笑と、今日もたんと儲けた矛盾売りの男。
「おや、平和への道は険しいようですな。……さて、次はどの街で売るとしようか」
商人は、売れ残った矛と盾を荷車に積み込み、軽やかに去っていった。
その矛が本当に貫けるのか、盾が本当に防げるのか。それを知る者は、結局誰ひとりとしていないのであった。
(完)
