短編小説『汗をかかない男3 ~意志の源流~』

人々が無限の選択肢に翻弄される「魔法の村」で、ただ一人その『選択する力』を武器に、王様のような安楽な暮らしを手に入れたサスケ。

しかし、彼はその地位に固執することなく、ふらりと村を後にしました。

彼の類稀なる「楽をするための嗅覚」が告げていたからです。この川のさらに源流にこそ、自分が求める本当の『究極の楽園』があるはずだと。

数年の旅の末、サスケはついにその場所にたどり着きました。

そこは、**「源流の村」**と呼ばれていました。

村に足を踏み入れたサスケは、我が目を疑いました。

そこには、便利な道具も、空を飛ぶ乗り物も、不思議な精霊の姿さえも見当たりません。あるのは、ただ美しい森と、清らかな小川と、質素な家々だけでした。

文明が崩壊したのだろうか?

サスケはそう思いました。

畑では、老人たちが泥だらけになって鍬(くわ)を振るっています。川辺では、若者が石で刃物を研ぎ、薪を割っています。

誰もが額に汗を浮かべ、息を切らして働いているのです。

「冗談じゃない……」

サスケは膝をつきました。

究極の効率化を求めて旅をしてきたのに、最後にたどり着いたのが、あの最初の「石運びの村」のような、原始的な労働の世界だというのでしょうか。

落胆するサスケの前に、一人の老人が現れました。

泥のついた手袋を外し、穏やかに微笑みかけます。

「やあ、旅人さん。珍しい顔だね」

サスケは思わず食ってかかりました。

「じいさん! なんでこんな非効率なことをしてるんだ! 下流の村に行けば、こんな畑仕事、精霊が一瞬でやってくれるんだぞ!」

老人はキョトンとして、それから楽しそうに笑いました。

「ああ、精霊かね。もちろん、ここにもおるよ」

老人が空に向かって、小さく指を鳴らしました。

すると、サスケの目の前に、何もない空間から突如として「冷えた水が入ったグラス」が出現しました。

誰かが運んできたのではありません。空気中の水分が集まり、器の形を成したのです。

「なっ……!?」

「この村の空気や土には、目に見えない『力』が満ちておる。衣食住、病気の治療、天候の制御……我々はただ『願う』だけで、生きるのに必要なすべてを手に入れられるんじゃ」

サスケは混乱しました。

「だったら! だったらなぜ、わざわざ汗をかいて畑なんか耕してるんだ! 無駄じゃないか!」

老人はグラスの水を飲み干し、静かに言いました。

「無駄だからだよ」

サスケは言葉を失いました。

「生きるために働く必要がなくなった時、人間に何が残ると思う? **『やりたいこと』**だけじゃよ」

老人は愛おしそうに自分の畑を見つめました。

「わしはな、土の手触りが好きなんじゃ。不揃いの野菜ができるのが楽しいんじゃ。精霊に頼めば完璧な野菜ができるが、それは『わしが作ったもの』ではないからな」

この村では、「技術」は完全に透明になり、空気のように背景に消えていました。

そして、残された人間たちは、生存のためではなく、**「純粋な暇つぶし」**として、あえて不便な行為を楽しんでいたのです。


サスケは村に留まることにしました。

しかし、彼を待っていたのは「退屈」という名の苦痛でした。

寝ていても食事は出ます。家も勝手に建ちます。

「めんどくさいこと」が世界から消滅してしまったのです。

サスケの才能は「面倒なことを、いかに楽にするか」にありました。

しかし、最初から「楽」な世界では、彼の工夫も、画期的なアイデアも、あの鋭い選択眼も、何の役にも立ちません。

「俺には……何もないのか?」

川辺の岩に寝転がりながら、サスケは虚しさに襲われていました。

労働から解放されたはずなのに、心は死んだように重いのです。

ふと、視界の端に「竹」が生えているのが見えました。

かつて最初の村で、人々を救うために必死で組んだ、あの竹です。

サスケは無意識に、懐から小刀を取り出し、竹を切り出していました。

誰に頼まれたわけでもありません。村の水は足りていますし、パイプラインを作る必要もありません。

ただ、手が覚えていました。

サスケは竹を削りました。節を抜き、角度を調整し、重心を探ります。

自然の法則と対話し、素材の癖を見抜きます。

「ここは、もう少し短くしたほうが、戻りが早いな……」

気づけば、サスケは汗だくになっていました。

日が暮れるのも忘れ、泥にまみれ、指に切り傷を作りながら、没頭していました。

「効率」なんてどうでもよかったのです。

ただ、自分の頭の中にあるイメージを、この手で形にすることが、たまらなく楽しかったのです。

翌朝。

静寂な村に、澄んだ音が響き渡りました。

カコン……

村人たちが集まってきました。

サスケが作ったのは、巨大な**「ししおどし」**でした。

川の水を引き込み、竹筒に溜めます。

重くなった竹が傾き、水を吐き出し、反動で戻って石を叩く。

ただそれだけの装置です。

不思議な力も使わず、誰の役にも立たず、重力だけで動く、永遠のループ。

「……なんて無駄な装置だ」

誰かが呟きました。

「水なら足りているのに。音を出すだけなんて、何の生産性もない」

しかし、その目は輝いていました。

竹が石を打つ、その不規則で優雅な「間」に、村人たちは聞き入っていました。

老人がサスケの肩を叩きました。

「良い音だ。……これを作るのに、どれくらいかかった?」

サスケは、袖で額の汗を拭いながら、ニカっと笑いました。

「一晩中さ。最高の『無駄骨』だったよ」

サスケは悟りました。

かつて自分は、作業を強要されるのが嫌で、楽をしようとしました。

けれど今、すべての義務から解放された自分は、「楽しみ」のために、あえて手作業に立ち返っているのです。

歴史は円環を描き、一周回って元に戻ったのです。

ただし、そこにあるのは「苦役」ではなく、「意思」という名の自由でした。

「どうじゃ、サスケ。ここでの暮らしは」

老人に問われ、サスケはししおどしの横にある、一番座り心地の良い岩に寝転がりました。

「悪くないね。ここは世界で一番、**『本気で遊べる』**場所だ」

竹がまた一つ、カコン と鳴りました。その音は、かつて世界で一番の怠け者だった男が、初めて心から「生きること」を肯定した合図のように聞こえました。

(おわり)