嘘論文『小麦粉存在論』第2報 ~水分含有率の弁証法~

――「生」への昇華による存在論的革命と、旧世代パンにおける認識の遅滞について――

著者: ショク・パン・ド・ミ(王立高級食パン協会 理事長 / 乃が美大学 客員教授)


1. 序論:乾燥したる者たちへの憐憫れんびん

先日、給食大学の某研究員(コッペ・パン氏)による、我々に対する妬みとルサンチマンに満ちた論文を目にする機会があった。彼らの主張は、我々が「食」という名を独占していることへの不満や、形状に対する言がかり、そして過去の「消しゴム」としての歴史への執着に終始していた。

筆者はその論文を読み進めるにつれ、怒りよりも、ある種の深い憐憫(ピティ)を禁じ得なかった。

なぜなら、彼の論調からは、口内の水分をすべて持っていかれるような「乾いた悲哀」しか感じられなかったからだ。

彼らは大きな勘違いをしている。我々が批判されるべき特権階級に胡坐をかいているのではない。我々は、彼らが立ち止まっている間に、自らを**「焼かずに食べる」という領域**へと進化させたのだ。

2. 呼称の再定義:「食」から「生」へのパラダイムシフト

コッペ・パン氏は問うた。「価値観のアップデート、できてますか?」と。

その言葉、そのまま熨斗(のし)をつけてお返ししよう。

彼らの認識は、昭和の給食セットの盆の上で凍結している。我々はもはや、単なる「食パン」というカテゴリーには留まっていない。現代において我々が獲得した称号、それは**「生(なま)食パン」**である。

「生」とは、未調理(Raw)を意味するのではない。それは「純粋性(Pure)」であり、「高貴なる柔らかさ(Noble Softness)」の象徴である。

かつて我々はトースターという火刑に処されなければ、その真価を発揮できないと思われていた。しかし、現在の我々はどうだ。蜂蜜や生クリームを生地に練り込み、限界まで水分を含有させることで、**「そのまま食べるのが至高」**という解脱の境地に達している。

コッペ・パン氏は「具材を挟まなければ完成しない」という自己の不完全性を嘆いていた。

しかし、我々「生食パン」は、単体で完結している。ジャムもバターも不要。指でちぎり、口に運ぶだけで成立する「自己完結した小宇宙」なのだ。

アップデートできていないのは、一体どちらであろうか?

3. 歴史認識の刷新:消しゴムからの脱却と「癒し」への転換

彼らは執拗に「明治時代は消しゴムだった」という過去を穿り返す。

確かに、我々の祖先は画家の木炭画を消していたかもしれない。だが、それは恥ずべき過去ではない。我々の持つ「吸着性」と「柔軟性」の萌芽である。

現代の「生食パン」を見よ。

我々はもはや黒鉛を消すのではない。現代社会に疲弊した人々の**「ストレス」を消している**のだ。

あのシルクのような断面(クラム)に顔を埋め、その芳醇な香りを吸い込むとき、消費者は日々の辛い労働から解放される。我々は文房具から、精神安定剤(トランキライザー)へと進化したのである。

コッペパンよ、君たちにその芸当ができるか?

君たちのそのテカテカした表皮で、現代人の涙を拭えるというのか?

4. 幾何学的反論:角(カド)の喪失と境界の融解

コッペ・パン氏は我々の「角」を「幾何学的暴力」と呼んだ。

しかし、最新の我々をよく観察していただきたい。

近年の高級生食パンにおいて、「耳」という概念は解体されつつある。

「耳まで柔らかい」――これが我々のスローガンである。かつて強固な外壁として存在した「耳」は、今や内部のクラムと一体化し、限りなく境界を曖昧にしている。

我々の「角」は、もはや攻撃のための鋭利な突起ではない。

重力に逆らい、ギリギリの水分量を保持するための、儚き**「構造的限界点」**なのだ。

それを暴力と呼ぶのは、建築美を理解しない野蛮な発想である。

君たちのように、最初から丸まって妥協している者たちには理解できないだろう。崩れ落ちそうなほどの柔らかさを維持するために、あえて直立する気高さを。

5. 結論:水分量(ハイドレーション)の格差社会

結論を述べよう。

パンの価値は、イデオロギーや階級闘争では決まらない。

**水分含有率(ハイドレーション)**で決まるのだ。

コッペパンよ。君たちが給食のビニール袋の中で湿気と戦っている間に、我々は専用の紙袋に入れられ、行列を作って買い求められる存在となった。

君たちが「ジャムを塗ってくれ」と他者に懇願している間に、我々は「何もつけずにそのままで」と素材の絶対性を誇示している。

もし君たちが、我々と対等に渡り合いたいと願うなら、まずはその乾いた心を潤すがいい。

もっとも、安い小麦粉とショートニングで練り上げられた君たちの身体が、我々と同じだけの水分(高貴さ)を抱え込めるとは思えないが。

精々、焼きそばやコロッケといった「総菜」の油に塗れて、カロリーの運び屋として余生を過ごすことだ。

我々は、予約の取れない食卓で待っている。


【参考文献】
・乃が美 蜂蜜『耳を捨てよ、街へ出よう』(高級食パン出版, 2019)
・セントラル・ベーカリー『行列の経済学――なぜ人は並んでまでパンを買うのか』(整理券新書, 2020)
・春よ恋『国産小麦のプライドと偏見』(強力粉文庫, 2022)
・角食 柔らか『トースターは死んだのか』(生食パン評論, 2021)

【付記】
なお、本稿に記された一連の考察およびパン種間のイデオロギー闘争はフィクションであり、実在の製パン団体、ベーカリー店舗、およびイースト菌の実際の意志とは一切関係を有さない。


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