長編SF小説『僕らが溶け合う境界線 エピソード ゼロ』File.01 ~悪意の礎(いしずえ)~

《 本編から3年前。》

―― エーテル社・極秘開発プロジェクト『パペット・ワルツ』進行ログ ――
作成者: 統括開発部長 G
セキュリティレベル: Level 5 (取締役会のみ閲覧可)

【フェーズ 1:構想とボトルネック】

従来のセキュリティAIには限界がある。

どんなに強固なファイアウォールも、ハッカーの執念と時間は無限だからだ。

我々が必要としているのは、計算不可能な乱数――つまり「人間の直感」をセキュリティに組み込んだ、脳を記憶媒体とする**『生きる金庫』**だ。

「人間の脳を使用するが、人間としての自我は削除する」

空っぽの器を作り、そこに我々がプログラムした従順な管理者人格『私』をインストールする。

問題は、生体脳とデジタル信号の完全な同期(シンクロ)だ。

既存のエンジニアどもは無能ばかりで、接続した瞬間に実験体(モルモット)の脳を焼き切ってしまう。

もっと繊細で、狂気的なまでに神経接続(シナプス)を理解している「天才」が必要だ

【フェーズ 2:原石の獲得】

素晴らしい拾い物をした。

スラム街同然の地区にある孤児院出身の少女。名前は「ミナ・ハーグリーブス」。

奨学金制度の選考リストの末端にいたが、彼女の書いた論文は異彩を放っていた。

「機械と神経の痛みのない接続について」。

実に美しい理論だ。

私はすぐに彼女をスカウトした。

身寄りも金もない、寂しがり屋の子供を釣るのは容易い。

「君の技術があれば、脳神経にダメージを負った多くの人々を救える」

「君の研究できる場所を、我々が用意しよう」

彼女は目を輝かせて契約書にサインをした。

自分たちが作ろうとしているのが、人を救う義体ではなく、人を閉じ込める檻だとも知らずに。

善意を利用するのは、いつ見てもコストパフォーマンスが良い。

【フェーズ 3:実験体 No.04 ~ No.12 の損耗】

開発は難航した。

地下深くから調達した「身元のない実験体」たちにプロトタイプを接続したが、拒絶反応が酷い。

自我を消去するプロセスで、彼らは精神崩壊を起こし、ただの肉塊となった。

ここでミナを投入した。

もちろん、真実は伏せている。

「彼らは重度の事故で脳に障害を負った患者だ。君の新しい接続技術で、彼らの苦痛を取り除いてあげてほしい」

彼女は驚くほど献身的に作業に没頭した。

「大丈夫、痛くないよ」「すぐに楽になるからね」

彼女は実験体に優しく語りかけながら、その天才的な手腕で、脳の防壁を次々と解除(ハッキング)していった。

皮肉なことだ。

彼女の「優しさ」が、実験体の自我をスムーズに解体し、我々のプログラムを植え付けるための**「最良の麻酔」**として機能したのだ。

No.12が廃棄処分になった際、彼女は泣いていたらしい。

「私の技術が足りないから救えなかった」と。

……笑いを堪えるのに苦労したよ。君の技術は完璧だ。完璧に彼らを「処理」している。

【フェーズ 4:人格プログラム『私』の完成】

多数の実験体の犠牲の上に、ついに安定した管理者人格データ――コードネーム『私』が完成した。

感情を持たず、命令に忠実で、しかし人間的な柔軟な思考を持つ、完璧な論理構造。

あとは、この『私』をインストールするための、**「最終的な器」**を見つけるだけだ。

使い捨ての実験体ではない。長く稼働し、社会に溶け込める、若く優秀な器が。

……おや?

ミナの様子がおかしい。

どうやら、廃棄されたはずのNo.12のデータ断片を偶然見てしまったようだ。

「治療」ではなく「初期化」が行われていた事実に、彼女が気付き始めた可能性がある。

まあいい。

『私』のデータは完成した。彼女の主要な利用価値はここまでだ。

これ以上騒ぐようなら始末するが、彼女はこの血塗られたプロジェクトの共犯者だ。

罪の意識に苛(さいな)まれ、飼い殺しになるのも一興だろう。

さて、そろそろ次の段階だ。

この美しいプログラム『私』を入れるための、幸運な(あるいは不運な)ホストを探しに行くとしよう。

(エピソード ゼロ File.02へつづく)