1.地下の告白
私たちは、診療所の裏にある隠し扉から地下水道へと降りた。
そこには、かつてレンが隠れ家として使っていた、放棄された整備室があった。
「はぁ、はぁ……」
私は錆(さ)びたベンチに座り込み、荒い呼吸を整えた。
ミナが救急箱を開き、私の額の傷を手当てしてくれる。
その手つきは優しく、そして慣れていた。まるで、3年間ずっとこうしてきたかのように。
「……ミナ」
私は彼女の手首を掴み、その目を真っ直ぐに見つめた。
聞かなければならない。たとえ、その答えが私を壊すとしても。
「君は知っていたのか。私の脳の中に、この男(レン)がいることを」
ミナの手が止まった。
彼女は悲しげに目を伏せ、首にかかっていたロケットペンダントを握りしめた。
「……知っていたわ。だって、あなたを作ったのは私だもの」
「……なんだって?」
「あなたは、レンの脳が回復するまでの『蓋(ふた)』。私がプログラムした、**『仮の人格』**よ」
世界が反転したような目眩(めまい)が襲った。
私が、プログラム?
彼女と過ごしたあの穏やかな診察の時間も、交わした言葉も、すべてはこの男の「代替」だったというのか。
「嘘だ……」
「嘘じゃない。あなたが過去を覚えていないのは、過去がないからよ。あなたが几帳面(きちょうめん)で感情を持たないのは、そう設計されたから」
ミナの声が震えている。彼女もまた、苦しんでいたのだ。
「じゃあ、なぜ……なぜ黙っていた! 私に『お前はレンだ』と言えばよかったじゃないか!」
「言えなかったのよ!」
ミナが叫んだ。その瞳から涙が溢れ出す。
「あなたは優秀よ。でも、あなたの心は、辻褄が合わないことがあるとすぐにエラーを起こしてしまうの。もし『自分は偽物だ』なんて知ったら、あなたは自己矛盾で壊れてしまう……。だから『鍵』が届くまでは、絶対に秘密にしておかなければならなかった」
「3年前に、何があったんだ」
ミナは俯き、静かに語り始めた。
「3年前……レンはエーテル社の違法実験の証拠である**『マスターデータ』**を盗み出した。でも、脱出の直前で捕まってしまったの」
「捕まった……?」
「ええ。組織はデータの在り処(ありか)を吐かせるために、彼の脳に恐ろしい拷問をしたわ。……電気信号で脳神経を焼き切るような、酷い尋問を」
私は息を呑んだ。
脳内で、レンの怒号がフラッシュバックする。あの激しい頭痛は、焼き切れた記憶の痛みだったのか。
「レンは最後まで口を割らなかった。でも、その代償に彼の脳は壊されて、植物状態になってしまった……」
ミナは涙を拭い、顔を上げた。
「私は彼を奪い返し、壊れかけた心を守るために、一度その人格データをチップに退避させた。そして、空っぽになった脳に『あなた』を入れて、肉体を生かしながら隠したの」
「……私はこの男(レン)が戻るまでの『つなぎ』だったわけか」
ミナは首を横に振った。そして、胸元のペンダントを開く。
中には、傷ひとつない美しいチップが一つ、収められていた。
「このペンダントには、レンの『心』のバックアップが入っている。でも、これだけじゃ彼を戻せなかった。……あなたの脳には、幾重にも施されたプロテクトで強固なロックがかかっていたから」
彼女は私の首筋――チップが埋まっている場所へ視線を移した。
「ロックを解く『鍵』は、彼が命懸けで守り抜いた**『マスターデータ』**そのもの。……それが、巡り巡ってついにあなたの元へ『帰ってきた』のね」
2.葛藤と決意
点と点が繋がっていく。
彼女はずっと待っていたのだ。
「心(ペンダント)」を胸に抱きながら、「鍵(チップ)」が届くその日を。
私のメンテナンスをしながら、私の奥に眠る恋人の帰りを。
私の胸に湧き上がったのは、絶望か、それとも嫉妬か。
私が彼女に抱いていた淡い恋心も、ただの「バグ」だったというのか。
(……悪ぃな、相棒)
頭の中で、あいつの声が聞こえた。
さっきまでの荒っぽい口調ではなく、少し気まずそうな、低い声だった。
(俺も知らなかった。ミナがそんな顔して俺を待ってたなんてな。……俺のせいで、お前に『人間』の夢を見せちまった)
「……ふざけるな」
私は拳を握りしめた。
私は噛ませ犬か?
用が済めば消える、ただの消耗品か?
「私は……私は、君たちの道具じゃない!」
その時。
ドォォン!!
地下道の入り口が爆破された。
爆風と煙が流れ込んでくる。
「見つけたぞ! ネズミども!」
追手の声だ。もう嗅ぎつけられたのか。
ミナが私を庇(かば)うように前に出た。
「逃げて! 『私』さん! ここが見つかったらもう終わりよ!」
……その背中を見た瞬間。
私の論理回路(ロジック)が、一つの結論を弾き出した。
私は偽物かもしれない。プログラムかもしれない。
だが、この胸の痛みは本物だ。
彼女を守りたい。たとえそれが、私の役割でなかったとしても。
(へッ。……やるじゃねえか)
レンが笑った。
(おい優等生。計算は得意だろ? ここを切り抜ける確率は?)
「……今の戦力ではゼロだ」
私は眼鏡の位置を直した。
「だが、君の『悪あがき』を加味すれば、あるいは」
「……行くぞ!」
私はミナを抱え、硝煙(しょうえん)の舞う戦場へと飛び出した。
(第4章へつづく)

