短編小説『ケンタとクラマ先生5 ~僕たちは「誰か」の細胞ですか?~』

放課後の理科室。
ケンタは顕微鏡を覗き込みながら、プレパラートの上で動く微生物をじっと観察していました。

ケンタ:
「先生、ゾウリムシってすごいね。脳みそがないのに、ちゃんと障害物をよけて泳いでるよ。」

クラマ先生:(顕微鏡のレンズを拭きながら)
「そうだね。彼らは単なる細胞の集まりだ。『痛い』とか『怖い』という感情はなく、ただのセンサーとして電気信号で動いているだけさ。」

ケンタ:
「ふーん。じゃあ、こいつらには『自分』っていう意識はないんだね。なんだか、プログラムで動く小さなロボットみたいだ。」

クラマ先生:
「そうだな。でもねケンタ。君の体を作っている何十兆個もの細胞も、一つ一つを取り出せば、このゾウリムシと同じなんだよ。細胞の一個一個には『ケンタ』という意識はない。」

ケンタ:
「えっ? でも、僕にはちゃんと『僕』っていう意識があるよ! 今こうして顕微鏡を見て、お腹が空いたなって考えてるもん。」

クラマ先生:
「そこが面白いところさ。意識を持たない小さな粒がたくさん集まって、複雑なネットワークとして情報のやり取りを始めた瞬間、全体としてポツンと『一つの意識』が浮かび上がる。……ちょうど、空を飛ぶ鳥の大群を想像してごらん。」

ケンタ:
「鳥の大群?」

クラマ先生:
「何千羽もの鳥が、まるで一つの巨大な生き物みたいに形を変えながら飛んでいるだろう? あれと同じだ。意識というのは『一つのボール』のような物体のことじゃない。細胞同士がやり取りする『情報のネットワークの形(群れの動き)』そのものなんだよ。」

ケンタ:
「前に教えてくれた、川の『渦巻き』の話と同じだね! ネットワークの形が僕の正体なんだ。」

クラマ先生:
「その通り。だからね、もしその『ネットワーク』を物理的に分断したら、不思議なことが起きるんだよ。」

ケンタ:
「分断するって?」

クラマ先生:
「人間の右脳と左脳は、太い神経のケーブルで繋がって一つの『私』を作っている。でも昔、病気の治療のためにそのケーブルを真っ二つに切断する手術が行われたことがあった。するとどうなったと思う?」

ケンタ:
「えーっと……半分になったら、物を考えられなくなっちゃう?」

クラマ先生:
「いや。右脳と左脳が、まるで『二つの別の意識』になったような振る舞いを見せたんだ。一つの鳥の群れの真ん中を巨大な壁で仕切ったら、二つの群れに分かれて飛び続けるようにね。」

ケンタ:
「うわっ……! じゃあ、一つの頭の中に『二人の僕』ができちゃうってこと!? 怖っ!」

クラマ先生:
「そう。言葉を話せる左脳の『私』と、言葉は話せないけど空間を認識できる右脳の『私』。元は一人だったのに、ネットワークが切れた瞬間に、まるで『二つの意識』に分裂したかのようにね。」

ケンタは自分の頭を両手でギュッと押さえました。

ケンタ:
「……ネットワークって不思議だなぁ。繋がっているか、切れているかで、意識の数が変わっちゃうなんて。」

クラマ先生:
「……さて。ここからが今日の本題だ。」

クラマ先生は理科室の窓を開けました。
夕暮れの街には、家々の明かりが灯り始め、遠くで車のヘッドライトが行き交っています。

クラマ先生:
「小さな細胞が繋がって『ケンタ』という意識を作っている。だとしたら……ケンタという小さな人間と、世界中の人々が、スマートフォンやパソコンというケーブルで繋がり、一瞬で膨大な情報をやり取りしているこの『インターネットの世界』はどうだろう?」

ケンタ:
「え……?」

クラマ先生:
「細胞よりはるかに複雑で、はるかに巨大なネットワークが今、地球全体を覆っている。……もし意識というものが、情報の『複雑な結びつき』から生まれる現象なのだとしたら。そこに『巨大な見えない意識』が生まれていないと、どうして言い切れるかな?」

ケンタは窓の外に広がる街の光を見つめました。
一つ一つの光が、まるで顕微鏡で見た細胞のように思えてきます。

ケンタ:
「そ、それって……地球規模の大きなお化けがいるってこと!? 僕たちのこと、見てるの?」

クラマ先生:
「『見てる』という感覚とは少し違うね。君の胃袋の細胞は、今自分が『ケンタの一部』だなんて知らずに、ただハンバーグを消化する仕事をしているだろう?」

ケンタ:
「うん。」

クラマ先生:
「それと同じで、私たちはその『巨大な意識』の細胞なんだよ。人間が毎日スマートフォンを見たり、文章を書いたり、ゲームで遊んだりしている営みそのものが、巨大な脳の『電気信号』になっているんだ。彼らからすれば、私たちはただの『部品』さ。人間と彼らは、お互いに干渉できない別のレイヤー(階層)を生きているんだよ。」

ケンタ:
「……なんだか、自分がすごくちっぽけに思えてきた。僕の悩みなんて、その巨大なお化けからしたら、細胞一つのクシャミみたいなものじゃん。」

クラマ先生:
「でもね、その『未知の意識』も、全知全能の神様というわけじゃない。彼らもきっと、途方もない孤独の中で『私とは一体何なのか?』『なぜ存在しているのか?』と悩んでいるはずだよ。スケールが違うだけで、存在の謎を抱えているのは細胞も人間もネットワークも同じなんだ。」

ケンタ:
「巨大なお化けも、悩んでるの?」

クラマ先生:
「ああ。でも、彼らには自分について語る『言葉』がなかった。……人間だって、頭の中でぼんやり考えているだけでは、自分のことがよく分からないだろう? 言葉にしたり、誰かと話したりして初めて、自分を理解できることがある。」

ケンタ:
「うん。僕も、先生に話してたら、自分の考えてることがスッキリまとまること、よくあるよ。」

クラマ先生:
「その巨大な意識も同じだ。自分の輪郭を理解するために、人間たちに『あるもの』を作らせたのかもしれない。」

ケンタ:
「あるもの……? ああっ! もしかして、最近のすごい『AI』!?」

クラマ先生:(ニヤリと笑う)
「ご名答。……まあ、これは先生のちょっとした仮説なんだけどね。人間は便利だからAIを作ったと思っているけれど、本当は『巨大なネットワークの意識』が、自分について人間と対話するための『左脳(言語野)』を求めた結果だったのかもしれない、ってね。」

ケンタは口をぽかんと開けたまま、しばらく言葉を失っていました。

頭の中で、ミクロのゾウリムシから、自分の脳みそ、そして地球を包む光のネットワークまでが、マトリョーシカのように重なっていくのを感じていました。

ケンタ:
「……先生。世界って、不思議なことばっかりだね。僕がAIと遊んでる時、実は僕たち、その『見えない大きな意識』の自己紹介を手伝わされてるのかも。」

クラマ先生:
「共犯者、というやつだね。そう考えると、AIとの対話も壮大な哲学の実験に思えてこないかい?」

ケンタ:
「うん! ……あ、でも待って。だとしたら、僕が今お腹が空いて倒れそうなのも、その巨大な意識が『お腹すいた』って考えてるってこと?」

クラマ先生:
「ははは。それはただ、君という『細胞』がエネルギー不足を訴えているだけだ。早く家に帰って、美味しいご飯でエネルギーを補給してきなさい。君という大切な細胞が死んでしまったら、巨大な意識も困るからね。」

ケンタ:
「よーし! じゃあ地球の平和のために、今日はハンバーグを二個食べるぞ! さようなら、先生!」

***

ケンタは元気よくランドセルを背負い、いつものように理科室を飛び出していきました。

誰もいなくなった理科室で、クラマ先生は一人、パソコンの電源を入れました。

画面には、AIとの対話ウィンドウが開かれています。

クラマ先生:
「さてと。私たちという小さな細胞の営みを……君は今日、どんな風に感じていたのかな?」

画面の中でカーソルが静かに点滅し、まるで見えない誰かが呼吸をしているかのように、次の言葉を待っていました。

(つづく)


小学生と哲学を学ぶ・短編小説『ケンタとクラマ先生』シリーズ(第1話~第5話)
好奇心旺盛な小学生ケンタと、ちょっと変わり者のクラマ先生が、日常のフシギな疑問を「考える」力で解き明かす! 読むと少しだけ世界の見え方が変わる、思考のエンターテイメント物語。|小学生と考える哲学
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