2027.01.03 品川 『Le Miroir』個室
「――いただきます」
その言葉は、食事の挨拶ではなく、処刑の合図だった。
三浦省吾の姿が、ブレた。
次の瞬間、彼はテーブルを飛び越え、リアムの目の前に迫っていた。
「うわっ!?」
リアムは反射的に後ろへ飛び退いた。
――ヒュンッ!!
鋭く風を切る音。
ガシャァァァンッ!!
三浦の長くしなやかな足が、リアムが先ほどまで座っていた椅子を軽々と粉砕していた。
木片が飛び散る。
「は……? 人間なの、こいつ!?」
リアムは冷や汗を流しながら、ポケットから愛用のHHKB(コンパクトキーボード)を抜き出した。
相手が誰であろうと、感情を持つ人間なら「脳内のコード」があるはずだ。
そこにハッキングを仕掛け、モーター・エリア(運動野)をフリーズ(強制停止)させるしかない。
Target: Miura_Shogo
Accessing: Neural_Network…
Execute: Force_Sleep();
リアムの指が高速でキーを叩く。
可視化された攻撃コードが、緑色の矢印となって三浦の脳天に突き刺さる――はずだった。
ガギィィン!!
リアムの視界で、信じられない現象が起きた。
三浦の全身を覆う黄金色のオーラ『摂取した感情エネルギー』が、リアムの送ったコードを物理的な壁のように弾き返したのだ。
>Error: Connection Refused.
>Error: Firewall is excessive (PHYSICAL).
>Reason: Analog_Override.
「な……弾かれた!? ファイアウォール(防火壁)じゃない、エネルギーの密度が高すぎて干渉できない……!」
リアムが焦燥の声を上げる。
三浦は、まとわりつく緑色のコードを手で払いのけ、鼻で笑った。
「なんだ、この無機質な雑味は。……電子信号(デジタル)か」
三浦がリアムを見下ろす。その瞳は、獲物を品定めする爬虫類のようだ。
「……舌触りが悪い。パチパチして、まるで安物の炭酸水だ。口直し(ソルベ)にもなりはしない」
三浦にとって、リアムの攻撃は「不味い料理」でしかなかった。
彼は興味を失ったようにリアムから視線を外し、再び理沙の方を向いた。
「やはり、メインディッシュは貴女だ」
「ひっ……!」
理沙が後ずさりし、背中が壁にぶつかる。
逃げ場はない。
三浦がゆっくりと歩み寄る。その一歩ごとに、部屋の空気が重くなる。
「貴女からは、極上の『恐怖』の香りがし始めた。……熟成が進んでいますね」
三浦が鼻を鳴らす。
理沙が放つ「怖い」「助けて」という感情。それすらも、彼にとっては食欲をそそるスパイスなのだ。
「こ、来ないで! 近寄らないでよ、変態シェフ!」
理沙が叫び、無意識に能力を発動させた。
ゴォォォンッ!!
彼女を中心とした「拒絶」の波動が、衝撃波となって三浦に叩きつけられる。
かつて巣鴨で《黒い蔦》を生み出したほどの、強力な感情エネルギーだ。普通なら吹き飛ぶはずだ。
だが、三浦は止まらなかった。
あろうことか、彼は大きく口を開け、その衝撃波を――吸い込んだ。
ズゾゾゾゾ……ッ!!
パクッ。
「――んんっ……!」
三浦が喉を鳴らし、恍惚とした表情で飲み込む。
「素晴らしい……! 今のは『拒絶』ですね? 喉越しが良くて、ピリッとした辛味が最高だ!」
「嘘……食べた……?」
理沙の顔から血の気が引く。
攻撃すればするほど、相手に栄養を与えてしまう。
これでは手詰まりだ。
「もっとだ。もっと強い感情(あじ)をくれ!」
三浦の体が、さらに一回り膨張したように見えた。
摂取したエネルギーが筋肉繊維を強化し、彼はもはや人間の形をした「化物」に変貌しつつある。
ドォン!!
三浦が床を蹴り、理沙の目前に肉薄した。
三浦の手が、理沙の細い首に伸びる。
「理沙姉ッ!!」
リアムが叫び、HHKBを投げ捨てて三浦の腕にしがみついた。
物理攻撃。
だが、今のリアムの力など、三浦にとっては蚊が止まった程度のものでしかない。
「邪魔だ、ガルニチュール(付け合わせ)」
ブンッ!
三浦が軽く腕を振っただけで、リアムの体は布切れのように吹き飛ばされた。
壁に激突し、床に転がる。
「ぐっ……あ……!」
「リアムくん!!」
理沙が叫ぶが、三浦の手が彼女の肩を掴んだ。
万力のような力。逃げられない。
「さあ、まずは前菜として、そのテラー(恐怖心)からいただこうか」
三浦の顔が近づく。
ギラギラと光る瞳。整いすぎた顔立ちが、今は死神のように見える。
理沙は恐怖で涙を溢れさせ、ギュッと目を閉じた。
(……相沢さん、須藤さん……ごめんなさい……私、やっぱりダメだった……)
「いただきます」
三浦が、理沙の感情を食らおうと、大きく口を開けた――その時だった。
バンッ!!!!
個室の重厚なドアが、乱暴に押し開けられ、壁に激しく叩きつけられた。
あまりの勢いに、飾られていた絵画がガシャンと落ちる。
「……チッ。食事の邪魔をする無粋な客は誰だ」
三浦が不快そうに振り返る。
入り口には、一人の男が立っていた。
ボロボロのジーンズ。サングラス。そして首には大きなヘッドフォン。
手には、場違いなコンビニの袋(中身は缶ビールと焼き鳥)が握られている。
男――須藤は、サングラス越しに凄まじい眼光を放ち、部屋に入るなり怒鳴り声を上げた。
「おい、巣鴨ォ!!」
その怒号は、三浦の威圧感すらも吹き飛ばす迫力だった。
「今日の修行サボって、何いいモン食ってんだコラァ!! こちとら寒い中、巣鴨のシャッターの前で1時間も待ってたんだぞ!!」
「えっ……す、須藤さん……?」
「それに廊下まで『変な音』が丸聞こえなんだよ! 相沢との約束忘れたのか! 『みだりに感情を放出しない』って口酸っぱく言っているだろうが!!」
須藤は、三浦のことなど眼中にない様子で、ズカズカと部屋に入ってきた。
新宿の暴君が、最悪のタイミングで。
そして、理沙にとっては最高の救世主として現れた瞬間だった。
(第6話へつづく)Coming soon…。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は、実在のものとは関係ありません。