連載小説『感情の忘れ物5 品川・三浦省吾編』第5話 ~口直し:デジタルのソルベ(Sorbet)~

2027.01.03 品川 『Le Miroir』個室

「――いただきます」

その言葉は、食事の挨拶ではなく、処刑の合図だった。

三浦省吾の姿が、ブレた。

次の瞬間、彼はテーブルを飛び越え、リアムの目の前に迫っていた。

「うわっ!?」

リアムは反射的に後ろへ飛び退いた。

――ヒュンッ!!

鋭く風を切る音。

ガシャァァァンッ!!

三浦の長くしなやかな足が、リアムが先ほどまで座っていた椅子を軽々と粉砕していた。

木片が飛び散る。

「は……? 人間なの、こいつ!?」

リアムは冷や汗を流しながら、ポケットから愛用のHHKB(コンパクトキーボード)を抜き出した。

相手が誰であろうと、感情を持つ人間なら「脳内のコード」があるはずだ。

そこにハッキングを仕掛け、モーター・エリア(運動野)をフリーズ(強制停止)させるしかない。

Target: Miura_Shogo
Accessing: Neural_Network…
Execute: Force_Sleep();

リアムの指が高速でキーを叩く。

可視化された攻撃コードが、緑色の矢印となって三浦の脳天に突き刺さる――はずだった。

ガギィィン!!

リアムの視界で、信じられない現象が起きた。

三浦の全身を覆う黄金色のオーラ『摂取した感情エネルギーAbsorbed Emotional Energy』が、リアムの送ったコードを物理的な壁のように弾き返したのだ。

>Error: Connection Refused.
>Error: Firewall is excessive (PHYSICAL).
>Reason: Analog_Override.

「な……弾かれた!? ファイアウォール(防火壁)じゃない、エネルギーの密度が高すぎて干渉できない……!」

リアムが焦燥の声を上げる。

三浦は、まとわりつく緑色のコードを手で払いのけ、鼻で笑った。

「なんだ、この無機質な雑味は。……電子信号(デジタル)か」

三浦がリアムを見下ろす。その瞳は、獲物を品定めする爬虫類のようだ。

「……舌触りが悪い。パチパチして、まるで安物の炭酸水だ。口直し(ソルベ)にもなりはしない」

三浦にとって、リアムの攻撃は「不味い料理」でしかなかった。

彼は興味を失ったようにリアムから視線を外し、再び理沙の方を向いた。

「やはり、メインディッシュは貴女だ」

「ひっ……!」

理沙が後ずさりし、背中が壁にぶつかる。

逃げ場はない。

三浦がゆっくりと歩み寄る。その一歩ごとに、部屋の空気が重くなる。

「貴女からは、極上の『恐怖』の香りがし始めた。……熟成が進んでいますね」

三浦が鼻を鳴らす。

理沙が放つ「怖い」「助けて」という感情。それすらも、彼にとっては食欲をそそるスパイスなのだ。

「こ、来ないで! 近寄らないでよ、変態シェフ!」

理沙が叫び、無意識に能力を発動させた。

ゴォォォンッ!!

彼女を中心とした「拒絶」の波動が、衝撃波となって三浦に叩きつけられる。

かつて巣鴨で《黒い蔦》を生み出したほどの、強力な感情エネルギーだ。普通なら吹き飛ぶはずだ。

だが、三浦は止まらなかった。

あろうことか、彼は大きく口を開け、その衝撃波を――吸い込んだ。

ズゾゾゾゾ……ッ!!

パクッ。

「――んんっ……!」

三浦が喉を鳴らし、恍惚とした表情で飲み込む。

「素晴らしい……! 今のは『拒絶』ですね? 喉越しが良くて、ピリッとした辛味が最高だ!」

「嘘……食べた……?」

理沙の顔から血の気が引く。

攻撃すればするほど、相手に栄養を与えてしまう。

これでは手詰まりだ。

「もっとだ。もっと強い感情(あじ)をくれ!」

三浦の体が、さらに一回り膨張したように見えた。

摂取したエネルギーが筋肉繊維を強化し、彼はもはや人間の形をした「化物」に変貌しつつある。

ドォン!!

三浦が床を蹴り、理沙の目前に肉薄した。

三浦の手が、理沙の細い首に伸びる。

「理沙姉ッ!!」

リアムが叫び、HHKBを投げ捨てて三浦の腕にしがみついた。

物理攻撃。

だが、今のリアムの力など、三浦にとっては蚊が止まった程度のものでしかない。

「邪魔だ、ガルニチュール(付け合わせ)」

ブンッ!

三浦が軽く腕を振っただけで、リアムの体は布切れのように吹き飛ばされた。

壁に激突し、床に転がる。

「ぐっ……あ……!」

「リアムくん!!」

理沙が叫ぶが、三浦の手が彼女の肩を掴んだ。

万力のような力。逃げられない。

「さあ、まずは前菜として、そのテラー(恐怖心)からいただこうか」

三浦の顔が近づく。

ギラギラと光る瞳。整いすぎた顔立ちが、今は死神のように見える。

理沙は恐怖で涙を溢れさせ、ギュッと目を閉じた。

(……相沢さん、須藤さん……ごめんなさい……私、やっぱりダメだった……)

「いただきます」

三浦が、理沙の感情を食らおうと、大きく口を開けた――その時だった。


バンッ!!!!

個室の重厚なドアが、乱暴に押し開けられ、壁に激しく叩きつけられた。

あまりの勢いに、飾られていた絵画がガシャンと落ちる。

「……チッ。食事の邪魔をする無粋な客は誰だ」

三浦が不快そうに振り返る。

入り口には、一人の男が立っていた。

ボロボロのジーンズ。サングラス。そして首には大きなヘッドフォン。

手には、場違いなコンビニの袋(中身は缶ビールと焼き鳥)が握られている。

男――須藤は、サングラス越しに凄まじい眼光を放ち、部屋に入るなり怒鳴り声を上げた。

「おい、巣鴨ォ!!」

その怒号は、三浦の威圧感すらも吹き飛ばす迫力だった。

「今日の修行サボって、何いいモン食ってんだコラァ!! こちとら寒い中、巣鴨のシャッターの前で1時間も待ってたんだぞ!!」

「えっ……す、須藤さん……?」

「それに廊下まで『変な音』が丸聞こえなんだよ! 相沢との約束忘れたのか! 『みだりに感情を放出しない』って口酸っぱく言っているだろうが!!」

須藤は、三浦のことなど眼中にない様子で、ズカズカと部屋に入ってきた。

新宿の暴君が、最悪のタイミングで。

そして、理沙にとっては最高の救世主として現れた瞬間だった。

(第6話へつづく)Coming soon…。


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は、実在のものとは関係ありません。