土の国に住む、モグラのモグ君は、生まれつき目が全く見えません。
でも、モグ君はちっとも困っていませんでした。
だって、彼にはふかふかの土の匂い、ミミズが動く小さな振動、そして、お母さんのお腹の温かい毛並みの感触があったからです。モグ君の世界は、とても賑やかで満たされていました。
ある春の日、モグ君が地面から鼻先だけをひょこっと出すと、頭の上から鈴を転がしたような声が降ってきました。
「こんにちは! 今日はとってもいい天気。『青色』が綺麗だよ!」
それは、空を飛ぶ青い小鳥のピピちゃんでした。
「『アオイロ』?」
モグ君は首を傾げました。
「それって、どんな匂い? どんな手触り?」
ピピちゃんは驚いて、翼をパタパタさせました。
「匂いじゃないの。ええとね……空の色で、とっても広くて、明るい感じ!」
モグ君は、自慢の鼻をヒクヒクさせ、耳を澄ませて考えました。
そして、これまでの経験の中から、ぴったりの「感覚」を探し出しました。
「わかった! 地下の奥深くにある、冷たい水が流れる場所のことだね? あの場所はひんやりしてて、静かで、ちょっと寂しい音がするんだ。それが『アオ』なんでしょう?」
ピピちゃんは目を丸くしました。
「うーん、ちょっと違うけど……でも、言われてみればそうかも。青い空も、高くて遠くて、少し冷たくて静かだもの」
二人は顔を見合わせ(モグ君は鼻を向け)、ふふっと笑いました。
モグ君にとっての『青』は「冷たくて静かな水の手触り」。
ピピちゃんにとっての『青』は「広くて高い空の景色」。
入り口は違うけれど、二人が感じた心の奥の「気持ち」は、不思議と同じだったのです。
しばらくして、ピピちゃんが心配そうに言いました。
「でも、モグ君はずっと暗闇の中にいるんでしょう? 怖くないの? かわいそうに」
すると、モグ君はきょとんとして言いました。
「クラヤミ? なにそれ」
「えっ? だって、目をつぶると真っ暗でしょ?」
「僕には『まぶた』の裏側なんてないよ。ただ、世界があるだけさ」
モグ君は、土をかき分ける立派な爪を見せて言いました。
「ねえピピちゃん。君には、背中に目はついていないよね?」
「うん、ついてないよ」
「じゃあ、君はいつも背中側が『真っ暗』で怖いの? 背中に目がなくて『かわいそう』なの?」
ピピちゃんはハッとしました。
「ううん、全然。背中は見えないのが普通だもの」
「僕も同じだよ。全部が『背中』なだけさ。だから、ちっとも怖くないよ」
ピピちゃんは、自分の羽を少し恥ずかしく思いました。自分にあるものが相手にないからといって、勝手に「足りない」と決めつけていたことに気づいたのです。
その夜、二人は「夢」の話をして笑い合いました。ピピちゃんの色鮮やかな夢と、モグ君の匂いと音に満ちた夢。お互いの夢が少しうらやましくなりました。
翌日、事件が起こりました。
ピピちゃんが突然、鋭い声で叫んだのです。
「あ! 危ない! 向こうから意地悪なキツネが来るよ!」
モグ君の耳には、まだ何の音も聞こえていません。匂いもしません。
けれど、モグ君はピピちゃんの言葉を疑いませんでした。
「こっちだ!」
モグ君はすぐさま地面を強く蹴ると、近くにあった隠し穴の入り口を跳ね上げました。
「ピピちゃん、入って!」
ピピちゃんが小さな穴に滑り込んだ直後でした。
ドスッ!!
二人がさっきまでいた場所に、重たいキツネの前足が叩きつけられました。間一髪でした。
暗い土の中で、二人は息を潜めました。
モグ君は思いました。
(ピピちゃんはすごい! 遠くにあるものに触らないで、それが何か分かるなんて、まるで魔法使いだ……!)
ピピちゃんも思いました。
(モグ君はすごい! 何も見えないのに、どこに逃げればいいか全部わかっているなんて、土の王様みたい……!)
ピピちゃんの「遠くを見る魔法」と、モグ君の「大地を知る知恵」。二人の力が合わさって、命が助かったのです。
キツネが去った後、地上に出たピピちゃんが言いました。
「キャッ! 何これ!」
自分の羽に、逃げる時についた小さな木の実のシミを見つけたのです。
「見た目が汚くなっちゃった! どうしよう!」
さっきまで命の危機だったのに、今度は小さなシミで大騒ぎです。
モグ君は思いました。
(ピピちゃんたち「見える族」は、魔法が使える代わりに、実体のない『見た目』という幽霊に、いつも振り回されているんだなぁ。なんだか、忙しそうで大変だ)
「大丈夫だよ、ピピちゃん」
モグ君は、パニックになるピピちゃんの羽を、優しくなでてあげました。
「僕にはそのシミは見えない。だから僕にとって、今のピピちゃんは、勇敢で、ふわふわで、最高のお友達のままだよ」
ピピちゃんは動きを止め、モグ君の言葉にじっと耳を傾けました。
「……ありがとう、モグ君。君に見えていないなら、まあ、いっか」
空を飛ぶ魔法使いのピピちゃんと、大地のにおいを知り尽くしたモグ君。
「ねえモグ君、今日の夕焼けは、君の好きな『焼きたての温かい石』みたいな色だよ」
「そうかい。じゃあピピちゃん、この風の湿り気は、もうすぐ雨が降る合図だよ」
ピピちゃんが空を見上げると、そこには以前よりずっと深い、モグ君が教えてくれた「静かな水の底のような青」が広がっている気がしました。
モグ君が風を受けると、そこには以前よりずっと高い、ピピちゃんが教えてくれた「どこまでも続く広さ」が感じられました。
二人は並んで、それぞれの方法で、昨日よりもっと広くなった世界を眺めていました。
(おわり)
💡 作品世界を深める『読むサプリ』
📖 作品解説:「環世界(ウンヴェルト)」と多様性の本質
本作を読み解くうえで手がかりとなるのが、生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した「環世界(ウンヴェルト)」という概念です。
それぞれの生き物が、自身の感覚器官を通して異なる世界を立ち上げている、という考え方です。
人間(やピピちゃん)にとっての「青」は視覚的な情報ですが、モグ君にとっては、触覚や聴覚から導かれる「冷たくて静かな水」といった感覚に結びついているように描かれます。
そこには単純な優劣や正誤では捉えきれない、異なる知覚のあり方が並んでいます。
また本作では、無意識の前提や見方の違いにも目を向けています。
ピピちゃんの「見えなくてかわいそう」という言葉に対し、モグ君が返す「君は背中に目がなくてかわいそうなの?」というやり取りは、前提の置き方によって評価が反転し得ることを示しています。
さらに後半の「シミ」をめぐるエピソードでは、他人からの見え方と自分の感じ方のずれが描かれています。そのずれによって、同じ出来事でも、違った意味を持つことがあります。
💊 この作品を読む効能(ベネフィット)
この物語は、童話という形を借りて、日常の風景や人間関係を少しだけ違った角度から眺めるための、小さなヒントになればと思って書きました。
- 「違い」を、それぞれが持つ「独自の魔法」として捉えてみる
誰かと違う部分を「足りないもの(欠損)」として気にするのではなく、「相手は自分とは違う魔法を持っているんだな」と想像してみることで、人との向き合い方が少しだけふわりと軽くなるかもしれません。 - 「見え方」から少しだけ離れてみる
周りからの評価や「どう見られているか」に少し疲れてしまったとき、モグ君のように「目に見えない本質」だけを信じるスタンスに触れることで、ホッとひと息つける安心感を感じていただければ嬉しいです。 - 違うからこそ広がる世界を楽しむ
自分とは全く異なる感覚や価値観を持つ誰かと対話することは、一人では決して見られない「新しい景色」を味わうきっかけになります。モグ君とピピちゃんのように、お互いの世界をシェアする面白さを疑似体験できる物語です。
🖋 作者あとがき
モグ君とピピちゃんの物語は、一見すると小さなやり取りの積み重ねのようでいて、その関係性の中に、さまざまな見方が重なるように描いています。
どちらが正しくて、どちらが間違っているのか。
あるいは、どちらも間違っていないのか。
その受け取り方は、読む人の立場や経験によって変わってくるのかもしれません。
この物語では、誰かの行動や言葉が、別の誰かにとってどのように映るのか、そのズレのようなものを、モグ君とピピちゃんの関係を通して描いています。
ときに善意のつもりで差し出したものが、別のかたちで受け取られてしまうこと。
あるいは、当たり前だと思っていた関係が、どこかで均衡を失っていくこと。
そうした出来事を、少し距離を置いたところから眺めるような物語として読んでいただけたら嬉しいです。
本作をより詳しく『深掘り』したコラムがございます。
もしよかったら、こちらも併せてご覧ください。
👇小説解説コラム:「見えない」は欠如ではない。モグラのモグ君と小鳥のピピちゃんに学ぶ、世界を広げる視点の魔法(短編小説『モグ君の「青」と、ピピちゃんの「魔法」』より)
