2026.05.10 秋葉原 同人誌印刷所近くの公園
「……うわ、インクの匂い。コミケ前だからか、修羅場のオーラ(波動)がすごいね」
影山リアムは、印刷所の裏手にある小さな公園のベンチの前で足を止めた。
このあたりは、締め切りに追われるクリエイターたちの怨念……じゃなくて、情熱が渦巻くエリアだ。
そして、目の前のベンチには、その象徴のような忘れ物があった。
使い古された**「クロッキー帳(スケッチブック)」と、グリップの変色した「製図用のミリペン」**。
そこから噴き出しているのは、ドロドロとした暗い灰色のコードだ。
while (Idea == NULL) {
Self_Doubt++; //自己否定が増加
Compare_With_Others(); //他人と比較
Despair(); //絶望
}
「……うわぁ、また無限ループか。メモリリーク起こしてるじゃん」
リアムは呆れたように溜息をついた。
>Warning: Writer’s_Block(スランプ)
>Warning: Talent_Not_Found(才能が見つかりません)
クリエイター特有の、答えのない迷路。
リアムの目には、それが非効率極まりない「バグの塊」にしか見えなかった。
「悩んでるレイテンシ(時間)が無駄なんだよなぁ。アウトプット(出力)できないなら、プロセスをキルして楽にしてあげるのが親切ってもんでしょ」
リアムは使命感に似た親切心から、HHKBを取り出した。
この「迷い」の記述を削除し、「妥協」という関数を挿入してやれば、彼はすぐにでもそこそこの作品を完成させて、家に帰って寝られるはずだ。
「よし、オプティマイズ(最適化)開始……」
彼がキーボードに手を伸ばした、その時だ。
「……待て。それは『バグ』じゃねえぞ」
背後から、低い声がした。
振り返ると、また「あの二人」が立っていた。
白い手袋の男――相沢と、ヘッドフォンの男――須藤だ。
「ゲッ。またあんたたち? 暇なの?」
リアムは露骨に嫌な顔をした。
須藤はヘッドフォンを少しずらし、ベンチのクロッキー帳を見下ろした。
「チッ……。こいつから聞こえるのは、不協和音(ノイズ)じゃねえ。『産みの苦しみ』だ。軋んでるが、芯のある音がしてやがる」
「はぁ? 何ポエム言ってんの。どう見てもスパゲッティコードじゃん。こんな汚い記述、放置してたらシステムごと落ちるよ」
リアムが反論すると、今度は相沢が静かに口を開いた。
「リアム君。君にはその苦しみが『邪魔な記述』に見えるかもしれない。だが、それは作品を完成させるために必要な**『仕様(Feature)』**だ」
「……仕様?」
リアムは目を丸くした。
プログラマーにとって、「それはバグではなく仕様です」という言葉ほど、都合の良い言い訳はない。
「こんなエラー吐きまくってる状態が『仕様』なわけないでしょ。……いいよ、じゃあテスト(実験)してみようか」
リアムはキーボードを叩くのを止めた。
「僕が手を出さずに、この持ち主がどうなるか。もしクラッシュ(発狂)したら、あんたらの責任だからね」
三人は、少し離れた植え込みの陰から様子を見ることにした。デバッグなしの実行テストだ。
***
数分後。
髪のボサボサな、目の下にクマを作った青年が戻ってきた。美大生だろうか。
彼はベンチに座り込むと、クロッキー帳を手に取り、頭を抱えた。
「……ダメだ、描けない。全然面白くない。俺には才能なんてないんだ……」
彼はペンを握りしめ、震えている。
頭上の灰色のコードが、さらに激しく渦巻く。
Fatal Error(致命的エラー)寸前だ。
「ほら見ろ。処理落ちしてるじゃん」
リアムは勝ち誇ったように言った。
「今すぐ『諦め』をインストールしてやれば、彼は楽になれるのに」
だが、相沢は動かなかった。
ただ、静かに、その青年の背中を見つめた。
浄化の光を送るのではない。
ただ、「信じる」という温かい眼差しを、そっと送っただけだった。
「……クソッ、でも……描くしかねえんだよ!」
青年は叫び、猛烈な勢いでペンを走らせ始めた。
苦しみは消えていない。迷いも消えていない。
だが、彼はその「苦しみ」を燃料にして、線を引き始めた。
その瞬間。
リアムは信じられないものを見た。
青年の頭上で絡まり合っていた灰色のスパゲッティコードが、一瞬でリビルド(再構築)され――
七色に輝く、複雑怪奇だが美しいプログラムへと「コンパイル(変換)」されたのだ。
> Running Process: Creation
> Status: Masterpiece.
> Output: Transcendent optimized artifact.
「は?……マスターピース(傑作)……超越的に、最適化された、芸術的産物……」
それは、バグだらけに見えたコードが、一つの「作品」として機能し始めた瞬間だった。
効率的でシンプルなコードではない。泥臭くて、冗長で、でも圧倒的な熱量を持ったプログラム。
「……嘘でしょ」
リアムは呆然とモニター(視界)を見つめた。
「あの汚いコードが、あんなアウトプット(出力)に繋がるの? ……論理的じゃない」
青年は何かを掴んだ顔で、クロッキー帳を抱えて走り去っていった。
その後ろ姿は、さっきまでの「エラー状態」とは別人のように輝いていた。
「へっ。効率だけじゃ作れねえモンもあるってこった」
須藤がニヤリと笑った。
「苦しみを取り除くだけが救済ではありません。……君も、いつか分かる時が来ます」
相沢はそう言い残し、二人は去っていった。
公園に一人残されたリアム。
彼は釈然としない顔で、自分のキーボードを一度だけカチャリと叩いた。
「……Unknown Error(理解不能)。でもま、今回は『仕様』ってことにしておいてやるよ」
彼は、初めてバグ(感情)を削除せずに見逃した。
その胸の中に、「効率以外の何か」という、小さなバグの種が生まれたことを、彼はまだ知らない。
(第6話へつづく)
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は、実在のものとは関係ありません。
【影山リアムのIT用語解説コーナー】
- ……非効率の極みだね。でもまあ……たまには、計算通りにいかない「バグ」を眺めるのも悪くないか。
- > メモリリーク(Memory leak)
プログラムが使ったメモリを解放し忘れ、どんどんシステムの空き容量を食いつぶしていく現象。スランプで自己否定を繰り返すクリエイターの脳内は、まさにこれ。 - > 仕様(Feature)
「これはバグ(不具合)ではなく、最初からこういう設計で作られているんです」という、プログラマーの魔法の言い訳。クリエイターの産みの苦しみは、作品を完成させるための「仕様」なんだってさ。 - > コンパイル(Compile)
人間が書いたプログラム(ソースコード)を、コンピュータが理解・実行できる形式(機械語)に一括で翻訳・変換する処理のこと。見た?あの汚いコードが一瞬で『マスターピース』だよ。僕はそんなの初めて見たね。 - >
【本エピソードのシステム要件】
- > ⏱ 推定処理時間:約3分(サクッと読める軽量プロセス)
- > ✒️ 推奨稼働環境:創作活動や仕事に行き詰まり、気分転換のストレッチをする時
- > 🏷 属性タグ: #クリエイター #スランプ #仕様 #メモリリーク
- > 💡 デバッグノート:才能への疑念と自己否定の無限ループによる処理落ち。スパゲッティコードと思われたエラーログが、「産みの苦しみ(仕様)」として見事にコンパイルされた稀有な事例。
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