二百という原色(スパンデックス)の暴力の海の中で、ウツボ男爵は静かに絶望を咀嚼(そしゃく)していた。
空間を埋め尽くす「正義」の密度は、深海の超高水圧すら凌駕している。彼らが一斉に腰のホルスターからレーザー銃を抜けば、ウツボ男爵の肉体など、瞬きする間に炭化し、光の塵となって消え去るだろう。
だが、男爵は暗黒帝国のエリート怪人である。この絶体絶命の淵にあっても、彼の冷徹な頭脳は、生存への極めて細い「蜘蛛の糸」を弾き出していた。
(……来るはずだ)
彼は知っている。この手の集団における、ある種の絶対的な「予定調和」を。
特撮という宇宙の法則において、無数の戦士が集結した際、必ず最前線に躍り出る者がいる。それは「現在放送中」の、最も新しく、最も瑞々しい最新の五人組である。
彼らは若さゆえの無謀さと正義感に胸を張り、背後に控える無数の歴戦の勇士たちに向けて、こう叫ぶはずなのだ。
『先輩方! ここは我々にお任せください!』
その一言さえ放たれれば、背後の百九十五人は「ふっ、頼もしい後輩ができたものだ」とばかりに微笑み合い、静かに道を譲る。それが、長きにわたって受け継がれてきた伝統であり、暗黙のルールである。
そうなれば、事態は「二百対一」という絶望から、「五対一」という日常的な業務へと劇的に改善される。ウツボ男爵は、額に浮かんだ脂汗を拭うことも忘れ、最新ヒーローの口が動くのを、まるで神の啓示を待つ巡礼者のように心待ちにしていた。
沈黙を破り、一番手前にいた今年の「レッド」が一歩前へ出た。
男爵の心臓が、歓喜に大きく跳ねた。
(言え! さあ、言うんだ! 『先輩方、ここは我々に』と!)
レッドは若々しい肺に空気を吸い込み、凛とした声で叫んだ。
「先輩方! ここは我々に——」
「——ちょっと待てよ」
その声は、最新レッドの瑞々しい台詞を、鋭利な刃物のように横から断ち切った。
声を上げたのは、部屋の奥でパイプ椅子に深く腰掛けていた、少し色褪せたスーツの「レッド」だった。彼は十数年前の放送枠を背負っていた男である。
「お前ら、こないだの冬の特番でも単独で怪人倒したばっかりだろうが。こっちはな、来月『放送十五周年記念Vシネマ』の発売を控えてるんだよ。ここでド派手な爆発を背負って、プロモーション映像の尺を稼がなきゃなんねえんだわ」
十五年前のレッドの生々しすぎる主張に、ウツボ男爵は我が耳を疑った。
(プロモーション映像……?)
だが、地獄の蓋はすでに開いていた。その発言を皮切りに、二百人の正義の戦士たちに潜んでいた「打算」と「承認欲求」が、次々と牙を剥き始めたのだ。
「ふざけんな! 尺が欲しいのはこっちも同じだ!」
立ち上がったのは、二十年前の戦士だった。「俺たちなんか、去年のオールスター映画で『その他大勢』扱いで、セリフひとつ無かったんだぞ! この怪人の首は俺が獲る!」
「いやいや、待ってくださいよ先輩」
別のチームのブルーが嘲笑うように手を挙げる。
「あなたたちの変身アイテム、もうプレミアムバンダイで受注終了してるじゃないですか。今、おもちゃの売上テコ入れしなきゃいけないの、ウチのチームなんですよ。スポンサーの意向、わかってます?」
「なんだと若造! 貴様らのデザイン、そもそも歴代へのリスペクトが足りんのだ!」
「うるせえ! 昭和の化石はすっこんでろ!」
怒号が飛び交い、胸ぐらをつかみ合う者すら現れた。
そこにあるのは、もはや愛と平和を守る高潔な戦士たちの姿ではない。限られた「出番(スクリーンタイム)」と「手柄」という名のパイを奪い合う、醜悪な権力闘争の修羅場であった。
正義とは、かくも利己的で、かくも政治的なものであったか。
ウツボ男爵は、自身の右手に握られた「処刑用の三又槍」が、ひどく場違いで滑稽なものに思えてきた。
彼らは、ウツボ男爵の強さなど微塵も気にしていない。彼らにとってこの怪人は、世界を脅かす邪悪なる敵ではなく、単なる「動くボーナス・ターゲット」であり「宣伝材料」に過ぎないのだ。
(誰か……)
男爵は、虚ろな目で眼前の惨状を見つめた。
(誰か、私を倒してくれ……)
彼は、悪の将軍への忠誠も、正義を滅ぼすという崇高な使命も、とうの昔に忘却していた。ただ、この身の置き所のない居心地の悪さから解放されたい。いっそ、この二百人全員で一斉に必殺技を撃ち込んで、一瞬で私を消し去ってくれ。
「いいか! このウツボは俺の獲物だ!」
「ふざけるな、俺のチームの必殺バズーカの試し撃ちにするんだ!」
口論はヒートアップし、ついに味方同士で武器を向け合うという、特撮史上最も不名誉な事態へと発展しようとしていた。
その輪の中心から完全に蚊帳の外に置かれたウツボ男爵は、そっと三又槍を床に置き、体育座りをした。
冷たい床の感触だけが、彼に残された唯一の真実だった。
孤独な悪党の目から、一筋のぬるい涙がこぼれ落ちた。それは、正義の戦士たちの誰にも気づかれることなく、楽屋の安っぽいカーペットに静かに吸い込まれていった。
(第3話へつづく)
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は、実在のものとは関係ありません。

