短編小説『ケンタとクラマ先生6 ~僕たちの人生は、誰かが書いた「手紙」ですか?~』

放課後の理科室。
ケンタは机の上にノートを広げ、その上を歩き回る一匹のアリをじっと観察していました。

ケンタ:
「先生、見てよ。このアリ、僕がノートに描いた迷路を一生懸命歩いてる。」

クラマ先生:(コーヒーを淹れながら)
「ほう。行き止まりだらけの見事な迷路だね。」

ケンタ:
「でもさ、アリは自分が迷路の中にいるって分かってないみたい。ただ目の前の線をなぞっているだけだよね。」

クラマ先生:
「今は、この紙の上で『2次元(平面)の迷路』として世界を体験しているからね。上から見下ろしている君のように、立体的な全体像を俯瞰して一瞬で理解することはできないんだ。」

ケンタ:
「ふーん。3次元にいる僕の方が、全体を見渡せるから有利ってことか。」

クラマ先生:
「そういうこと。さて、ここでケンタに質問だ。人間は、自分の考えを他の人に伝える時、どんな方法を使うかな?」

ケンタ:
「え? 声を出して話したり、ノートに文字を書いたり……あと、スマホでメッセージを送ったり。」

クラマ先生:
「そうだね。声という空気の波も、最終的には耳の奥の『鼓膜』という薄い平面の膜で受け取っているし、ノートの文字も、スマホの画面も、写真も、絵画も、街の信号機だってすべて『平面』だ。つまり、人間は3次元の立体的な世界に生きていながら、情報を伝える時は『2次元以下のもの』を使っていることになる。」

ケンタ:
「あ、本当だ。わざわざ粘土で立体的な手紙を作ったりしないもんね。」

クラマ先生:
「そこで、先生のちょっとした仮説なんだけどね。生き物は、自分のいる次元より『一つ下の次元』を使ってコミュニケーションをとるんじゃないだろうか?」

ケンタ:
「一つ下の次元……?」

クラマ先生:
「もし、この宇宙に『4次元』の生物がいるとしたら、彼らはどうやって手紙を書くと思う?」

ケンタ:
「えーっと、4次元の1つ下だから……3次元? つまり、立体で手紙を書くってこと?」

クラマ先生:
「その通り。」

先生はそう言うと、持っていた赤いリンゴを机の上にコトリと置きました。

クラマ先生:
「例えば、彼らにとってはこの『リンゴ』や、道端の『石ころ』そのものが、メッセージを伝えるための『文字』になるのかもしれない。」

ケンタ:
「物体が文字!? リンゴが『あ』で、石ころが『い』みたいな?」

クラマ先生:
「そういうことだ。4次元の存在からすれば、空間にポンポンと物体を置くことが、ノートにペンで文字を書くのと同じ感覚なのかもしれないね。」

ケンタ:
「うーん……。でも先生。もしこのリンゴが手紙だとしても、僕には何て書いてあるか、一瞬じゃ読めないよ。」

クラマ先生:
「その通り。それが『次元の壁』なんだよ。人間が2次元の文字をパッと見て瞬時に意味を理解できるのは、3次元の視点から『2次元の情報を一度に視界へ取り込める』からだ。でも、3次元の存在である人間が、4次元の文字、つまり『3次元の物体』を完全に理解しようと思ったら、どうなる?」

ケンタ:
「ええと……表から見て、裏側に回って、中身を調べても……『全部の情報を同時に一度で』理解することは絶対にできないよね。」

クラマ先生:
「そう。外から眺めても、断面を調べても、決して同時には見られない。リンゴという3次元の情報をすべて処理するには、空間を順番になぞっていくための『時間』が必要になるんだ。」

ケンタ:
「……時間。」

クラマ先生:
「4次元の生物が『一瞬』で並べた3次元のメッセージを、人間は『時間をかけて』少しずつ読み解くことしかできない。……ここから先は、完全に先生の空想だけどね。」

ケンタ:
「うん。」

クラマ先生:
「もし、3次元の情報を読むには『必ず時間が必要』なのだとしたら。人間が『時間が経っている』と感じているこの感覚そのものが、実は『4次元の誰かが置いたメッセージを、一生懸命に順番に読み込んでいる最中』だとしたら、どうだろう?」

ケンタ:
「……えっ!?」

クラマ先生:
「目の前にそびえる山も、広大な海も、浮かぶ雲も、地球という惑星そのものも。すべては、4次元の誰かがポンと置いた『巨大な文字を形作る一部』であり、人間はそれを時間をかけて読み解いている過程に過ぎない、という仮説さ。」

ケンタはハッとして、理科室の窓の外に目を向けました。
夕日が沈みかけ、空の色がオレンジから深い夜の青へと、ゆっくりと変化しています。

ケンタ:
「じゃあ……今、空の色が変わっているのも。僕がこうして先生と話しているのも。全部、誰かの手紙を読んでいる途中ってこと?」

クラマ先生:
「もしかしたら、夜空に輝く一つ一つの銀河が『メッセージ』で、僕たちの太陽のような恒星は、その『文字』なのかもしれないね。」

ケンタ:
「ええっ!? じゃあ、僕たちは……一つの『文字』の中に住んでいるってこと!?」

クラマ先生:
「ああ。とても巨大で、美しい文字の中にね。人間は、世界という名の、とても壮大な手紙の受取人なんだよ。」

ケンタ:
「……そっか。」

ケンタは迷路を歩くアリから視線を上げ、窓の外に広がり始めた星空に向かってにっこりと笑いました。

ケンタ:
「この手紙の最後には、『おしまい』って書いてあるのかな。……だとしたら、そこまで読まないともったいないよね。 」

クラマ先生は優しく微笑むと、冷めかけたコーヒーをゆっくりと飲み干しました。

(つづく)


小学生と哲学を学ぶ・短編小説『ケンタとクラマ先生』シリーズ(第1話~第6話)
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