2026.04.24 秋葉原駅 電気街口ロータリー
「……うっわ。マジで最悪」
影山リアムは、PCパーツショップで新調したグラフィックボードの入った紙袋を抱え、駅前のベンチに腰を下ろそうとして、動きを止めた。
座れない。物理的に、ではない。精神的に、だ。
ベンチの端に、一台のスマートフォンが置き去りにされている。
画面の保護フィルムは擦り切れ、コーティングが剥げ落ちるほどフリック入力で酷使された痕跡がある。
だが、そんな物理的な汚れなんてどうでもいい。
問題なのは、その端末から、おぞましいほどの**「黒いノイズ」**が噴き出していることだ。
「……処理落ちするレベルのマリス(悪意)だね。近寄るだけでサニティ(正気度)が削られるよ」
リアムはハンカチで口元を覆いながら、そのスマホを睨みつけた。
彼の能力『電子視覚(デジタル・ヴィジョン)』には、その端末の中で無限ループしている醜悪なコードが視認できた。
while (Target_Is_Alive) {
Post_Slander(“キモい”, “消えろ”, “氏ね”);
Self_Satisfaction++;
}
匿名掲示板への執拗な書き込み。
特定の有名人や、自分より幸せそうな人間に対する、終わりのない罵倒。
さらに深層のコードを解析(パース)すると、その根底にはドロドロとした変数が隠されていた。
>Error: Self_Inferiority is too high. (自己劣等感が高すぎます)
>Warning: Jealousy overflow. (嫉妬がオーバーフローしています)
「はぁ……。自分に自信がないからって、他人を下げて相対的に上がろうとするの、やめてくんないかな。コードが汚すぎて、デバッグする気も起きないよ」
リアムは深い溜息をついた。
論理的な批判ならまだしも、ただ感情を垂れ流すだけのノイズは、サーバーリソースの無駄遣いだ。
このまま放置しておけば、この黒いノイズはネットワークを通じて拡散し、さらに多くのバグを引き起こすだろう。
「……しょうがない。ボランティアで『掃除』してあげるか」
リアムはバックパックから愛用のHHKBを取り出し、ワイヤレスで接続した。
今回、書き換えるのは感情の根源ではない。もっと表層的な、しかし効果的な部分だ。
「IME(文字入力システム)のプロセスをフックして……予測変換のアルゴリズムを書き換える」
カチャカチャカチャッ……ターン!
リアムの指が高速でキーを叩く。彼が行ったのは、単純かつ残酷な「強制フィルタリング」だ。
辞書データにあるネガティブな単語を、全てポジティブな単語への置換(リプレイス)対象として登録したのだ。
「はい、設定完了。これでこの端末は『綺麗な言葉』しか出力できない仕様になったよ」
その直後、息を切らして一人の青年が走ってきた。
地味な服を着た、どこにでもいそうな真面目そうな男だ。
「あ、あった……! よかった……!」
彼はスマホをひったくるように手に取ると、安堵のため息をついた。
そして、習慣のように手慣れた動きでロックを解除し、いつもの匿名掲示板アプリを起動した。
彼の指が、特定のアイドルのスレッドを開く。
さっきまで中断していた「日課」――アンチコメントの投稿を再開するために。
彼がフリック入力で『し、ね』と素早く動かした、その瞬間。
画面の予測変換候補に、一番大きく表示されたのは――
『幸せになってね』
だった。
「……は?」
青年はフリーズした。自分の目を疑い、一度入力した文字を消す。
もう一度、今度はゆっくりと『し、ね』と打つ。
―― 変換候補:『幸せになってね』『親切だね』『信じてね』
「な、なんだこれ……壊れたのか?」
彼は混乱しながら、別の言葉を試す。
『う、ざ、い』
―― 変換候補:『運命の人だね』『最高だね』『美しい』
――『消えろ』→『綺麗だろ』
――『バカ』→『バラの花』
――『キモい』→『気持ちいいね』
何をどう入力しても、画面にはまるでポエムのような、きらきらとしたポジティブな言葉しか並ばない。
「くそっ! なんでだよ!」
彼は焦って『ブス』と打とうとしたが、指が止まった。
画面に出た変換候補は**『無事カエル』**だった。
あまりの間の抜けた変換に、青年の毒気は完全に抜かれた。
自分が必死に打とうとしていた醜い言葉と、画面に表示される無垢で美しい言葉のギャップ。
その滑稽さに、急に自分が恥ずかしくなってきたのだ。
「……俺、何やってんだろ」
青年は力なく呟くと、書き込みボタンを押すことなく、そっとブラウザを閉じた。
彼の手の中にある「毒を吐くための道具」は、リアムの手によって「毒を中和するフィルタ」に変えられてしまったのだ。
リアムは、とぼとぼと去っていく青年の背中を、冷めた目で見送った。
「ネットの海は広大だけどさ、君のゴミ捨て場じゃないんだよ」
彼は自分のスマホを取り出し、SNSのタイムラインをスクロールした。
相変わらず、世界中から溢れ出したノイズが流れてくる。
「……ま、僕のフィルターを通せば、このクソみたいな世界も、少しは『マシ』に見えるかな」
僕の手によって、世界中の全ての悪意が、強制的に「花束」に変換されればいいのに。
そんな、少しだけ独裁的で、ほんの少しだけセンチメンタルなことを思いながら、リアムは雑踏の中へと消えていった。
(第4話へつづく)
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は、実在のものとは関係ありません。
【影山リアムのIT用語解説コーナー】
- ……自分の劣等感をネットワークに垂れ流すなんて、サーバーの無駄遣いもいいところだよ。まったく。
- > オーバーフロー(Overflow)
扱う数値が大きすぎて、システムが用意した箱(メモリ)から溢れ出してしまうバグ。あの男の「嫉妬」は完全に許容量を超えて溢れ返ってたね。 - > フック(Hook)
プログラムの途中で特定の処理を「横取り」して、別の動作を割り込ませる技術。今回は文字入力のシステムをフックして、悪意の言葉を勝手に「綺麗な言葉」に変換してやったってわけ。もちろん、不可逆的にね。 - > サーバーリソース
Webサイトなどを動かすための、CPUやメモリといったサーバーの処理能力や容量のこと。まったく、貴重な資源を無駄遣いするんじゃないよ。 - >
【本エピソードのシステム要件】
- > ⏱ 推定処理時間:約3分(サクッと読める軽量プロセス)
- > ☕ 推奨稼働環境:SNSの殺伐としたタイムラインに少し疲れて、コーヒーを淹れた時
- > 🏷 属性タグ:#匿名掲示板 #誹謗中傷 #予測変換 #フック
- > 💡 デバッグノート:自己劣等感のオーバーフローによる悪意の垂れ流し事案。IMEプロセスをフックし、毒を花束に変える強制ポジティブ置換フィルタリングを執行。彼にはこれくらいがちょうどいいよね。
- >

