人々が無限の選択肢に翻弄される「魔法の村」で、ただ一人その『選択する力』を武器に、王様のような安楽な暮らしを手に入れたサスケ。
しかし、彼はその地位に固執することなく、ふらりと村を後にしました。
彼の類稀なる「楽をするための嗅覚」が告げていたからです。この川のさらに源流にこそ、自分が求める本当の『究極の楽園』があるはずだと。
数年の旅の末、サスケはついにその場所にたどり着きました。
そこは、**「源流の村」**と呼ばれていました。
村に足を踏み入れたサスケは、我が目を疑いました。
そこには、便利な道具も、空を飛ぶ乗り物も、不思議な精霊の姿さえも見当たりません。あるのは、ただ美しい森と、清らかな小川と、質素な家々だけでした。
文明が崩壊したのだろうか?
サスケはそう思いました。
畑では、老人たちが泥だらけになって鍬(くわ)を振るっています。川辺では、若者が石で刃物を研ぎ、薪を割っています。
誰もが額に汗を浮かべ、息を切らして働いているのです。
「冗談じゃない……」
サスケは膝をつきました。
究極の効率化を求めて旅をしてきたのに、最後にたどり着いたのが、あの最初の「石運びの村」のような、原始的な労働の世界だというのでしょうか。
落胆するサスケの前に、一人の老人が現れました。
泥のついた手袋を外し、穏やかに微笑みかけます。
「やあ、旅人さん。珍しい顔だね」
サスケは思わず食ってかかりました。
「じいさん! なんでこんな非効率なことをしてるんだ! 下流の村に行けば、こんな畑仕事、精霊が一瞬でやってくれるんだぞ!」
老人はキョトンとして、それから楽しそうに笑いました。
「ああ、精霊かね。もちろん、ここにもおるよ」
老人が空に向かって、小さく指を鳴らしました。
すると、サスケの目の前に、何もない空間から突如として「冷えた水が入ったグラス」が出現しました。
誰かが運んできたのではありません。空気中の水分が集まり、器の形を成したのです。
「なっ……!?」
「この村の空気や土には、目に見えない『力』が満ちておる。衣食住、病気の治療、天候の制御……我々はただ『願う』だけで、生きるのに必要なすべてを手に入れられるんじゃ」
サスケは混乱しました。
「だったら! だったらなぜ、わざわざ汗をかいて畑なんか耕してるんだ! 無駄じゃないか!」
老人はグラスの水を飲み干し、静かに言いました。
「無駄だからだよ」
サスケは言葉を失いました。
「生きるために働く必要がなくなった時、人間に何が残ると思う? **『やりたいこと』**だけじゃよ」
老人は愛おしそうに自分の畑を見つめました。
「わしはな、土の手触りが好きなんじゃ。不揃いの野菜ができるのが楽しいんじゃ。精霊に頼めば完璧な野菜ができるが、それは『わしが作ったもの』ではないからな」
この村では、「技術」は完全に透明になり、空気のように背景に消えていました。
そして、残された人間たちは、生存のためではなく、**「純粋な暇つぶし」**として、あえて不便な行為を楽しんでいたのです。
サスケは村に留まることにしました。
しかし、彼を待っていたのは「退屈」という名の苦痛でした。
寝ていても食事は出ます。家も勝手に建ちます。
「めんどくさいこと」が世界から消滅してしまったのです。
サスケの才能は「面倒なことを、いかに楽にするか」にありました。
しかし、最初から「楽」な世界では、彼の工夫も、画期的なアイデアも、あの鋭い選択眼も、何の役にも立ちません。
「俺には……何もないのか?」
川辺の岩に寝転がりながら、サスケは虚しさに襲われていました。
労働から解放されたはずなのに、心は死んだように重いのです。
ふと、視界の端に「竹」が生えているのが見えました。
かつて最初の村で、人々を救うために必死で組んだ、あの竹です。
サスケは無意識に、懐から小刀を取り出し、竹を切り出していました。
誰に頼まれたわけでもありません。村の水は足りていますし、パイプラインを作る必要もありません。
ただ、手が覚えていました。
サスケは竹を削りました。節を抜き、角度を調整し、重心を探ります。
自然の法則と対話し、素材の癖を見抜きます。
「ここは、もう少し短くしたほうが、戻りが早いな……」
気づけば、サスケは汗だくになっていました。
日が暮れるのも忘れ、泥にまみれ、指に切り傷を作りながら、没頭していました。
「効率」なんてどうでもよかったのです。
ただ、自分の頭の中にあるイメージを、この手で形にすることが、たまらなく楽しかったのです。
翌朝。
静寂な村に、澄んだ音が響き渡りました。
カコン……
村人たちが集まってきました。
サスケが作ったのは、巨大な**「ししおどし」**でした。
川の水を引き込み、竹筒に溜めます。
重くなった竹が傾き、水を吐き出し、反動で戻って石を叩く。
ただそれだけの装置です。
不思議な力も使わず、誰の役にも立たず、重力だけで動く、永遠のループ。
「……なんて無駄な装置だ」
誰かが呟きました。
「水なら足りているのに。音を出すだけなんて、何の生産性もない」
しかし、その目は輝いていました。
竹が石を打つ、その不規則で優雅な「間」に、村人たちは聞き入っていました。
老人がサスケの肩を叩きました。
「良い音だ。……これを作るのに、どれくらいかかった?」
サスケは、袖で額の汗を拭いながら、ニカっと笑いました。
「一晩中さ。最高の『無駄骨』だったよ」
サスケは悟りました。
かつて自分は、作業を強要されるのが嫌で、楽をしようとしました。
けれど今、すべての義務から解放された自分は、「楽しみ」のために、あえて手作業に立ち返っているのです。
歴史は円環を描き、一周回って元に戻ったのです。
ただし、そこにあるのは「苦役」ではなく、「意思」という名の自由でした。
「どうじゃ、サスケ。ここでの暮らしは」
老人に問われ、サスケはししおどしの横にある、一番座り心地の良い岩に寝転がりました。
「悪くないね。ここは世界で一番、**『本気で遊べる』**場所だ」
竹がまた一つ、カコン と鳴りました。その音は、かつて世界で一番の怠け者だった男が、初めて心から「生きること」を肯定した合図のように聞こえました。
(おわり)
