かつて、影山リアムは自身の能力『電子視覚(デジタル・ヴィジョン)』の万能感の中にいた。
他人の感情をバグだらけのソースコードとして視認し、キーボードで強制デバッグして消去する。だが、それは人格すら作り変える傲慢な行為であり、放置すれば彼らは一生「空っぽ」のままだった。
相沢や須藤との出会い、そして、大混乱をもたらした「ユートピア・システム」の暴走と崩壊を経て改心したリアムは、自分が書き換えてしまった感情コードを元に戻す地道な旅を続けていた。
ある日は、承認欲求の女性のコードを戻した。
「画面の数字より、外の風でも浴びなよ」とアドバイスして去る。
またある日は、課金沼の男性を修復した。
「失った金は勉強代でしょ。真っ当に働けば?」と言い残し、背中を見送った。
そんな中、リアムは秋葉原駅の電気街口広場へ向かった。
ロータリーの片隅、派手なメイクをして佇んでいる若い女性。
かつて、配信中の激しい誹謗中傷による「恐怖」と「羞恥心」で泣き叫んでいた彼女から、その感情を強制消去したのだ。
「……ねえ、ちょっといい?」
声をかけると、派手なメイクの少女は、スマホから顔を上げ「え、何? ナンパ?」と不気味なほど平坦な声を返した。
「ちょっと、じっとしてて」
リアムはデジタル・ヴィジョンを展開し、バックアップしていた『恐怖』と『羞恥心』のコードを再配置した。
実行(エンター)。
コードが戻った瞬間、彼女の身体がビクリと大きく跳ね上がった。
「あ……、嘘……。やだ、またあの言葉が……! みんなが私を叩いてる……怖い、嫌だ!」
急激に蘇ってきた中傷のトラウマと、抑え込んでいた恐怖と羞恥心が、彼女の許容量を超えてパニックを引き起こす。
「深呼吸しなよ。吸って、吐く。ほら」
リアムは彼女の肩を掴み、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
「それが君の、本当のシステム構成(コード)だからね。心が痛むのはシステムが正常に動いてる証拠じゃん。そんなに怖いならさ、自分を隠すための派手なメイクなんて拭い去って、自分が一番安心できる場所に帰ればいいじゃない?」
「……あ……」
リアムの生意気だが核心を突いた言葉に、少女は何度も深呼吸を繰り返し、やがて呼吸を落ち着かせていった。
落ち着きを取り戻した少女は、目の前のリアムの顔をじっと見つめた。
色素の薄い、端正な顔立ち。冷たそうに見えて、どこか陰のある、驚くほど整った容姿。
「……え、ちょっと待って。あんた、めちゃくちゃイケメンじゃん……」
少女の頬が、鮮やかな朱色に染まった。一目惚れだった。
「……はい、処理完了(コンプリート)。じゃあね」
踵を返そうとしたリアムの袖を、少女が猛烈な勢いで掴んで引き留める。
「待って! あんた、私にこんなことしたんだから、お詫びに私とデートしてよ!」
「やだね。なんで僕がそんな要求に付き合わなきゃいけないのさ」
「もしデートしてくれないなら、今すぐ『怪しい男に脳をいじられた!』ってSNSに書き込んで大炎上させてバラしてやるんだから!」
「……っ、てめえ……」
ネット上での不要な炎上や身バレは最も避けたい。リアムは長いため息を吐いた。
「……一日だけだからね。それ以上は一秒たりとも付き合わないから」
「やった! 私はルナ。よろしくね、リアム!」
こうして、リアムの不条理なデートが始まった。ルナに手を引かれるまま、リアムは秋葉原の街を連れ回された。
まずは定番の『コトブキヤ秋葉原館』に押し込まれ、ファンシーなフィギュアの棚を延々と見せられた。ルナが「これ可愛くない?」とはしゃぐのを、リアムは「ポリゴンの造形が甘すぎでしょ。期待値以下だよね」と冷ややかに評して怒らせた。
次に訪れたのは、レトロゲームの聖地『スーパーポテト秋葉原店』。ひしめく昭和の電子音とカセットの山に、リアムは「レトロシステムも、この無駄な冗長性が意外とエモいのかもね……」と呆れつつも、不覚にも少しだけ視線を奪われた。
昼食は、騒がしい『万世橋』のたもとにあるカフェテラスへ。運ばれてきたパンケーキを前に、ルナは「写真撮って!」と何度もせがみ、リアムは「なんで僕がこんなパンケーキの記録(ログ)に付き合わなきゃいけないわけ?」と愚痴をこぼしながら、不器用な手つきでカメラを構えさせられた。
さらに『ラジオデパート』の薄暗いジャンク街を通り抜け、最後は夕暮れ時の『神田明神』の静かな境内へと辿り着いた。
男坂の上から、茜色に染まりゆく秋葉原の街並みが見渡せる。 ルナは、すっかり化粧の落ちた、自然な顔立ちで、夕日を浴びながら微笑んでいた。
「……ねえ、リアム。あのね」
彼女は、朱色に染まる街を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「感情を消されていた時、私、確かに傷つかなかった。でも、何を食べても味がしなくて、すっごく寂しかったの。だから、今こうして恥ずかしくて、怖くて、でも……あんたと一緒にいて楽しいって思えるの、すごく嬉しい」
ルナはリアムに向き直り、今日一番の、満開の笑顔を咲かせた。
「今日はありがとう。わたし、自分の不器用な心と一緒に、これから頑張ってみるね」
彼女はそう言い残すと、弾むような足取りで、夕闇に溶けていく駅の改札へと駆けていった。
一人残されたリアムは、秋葉原駅前の馴染みの『ラジオ会館』の屋上へと上り、冷たくなり始めた秋風のなかで、フェンスに背を預けた。そこで、首から下げていた古いアナログのフィルムカメラを手に取った。
レンズを通し、現像されるまで結果の分からない、非効率でやり直しのきかない不便な機械。
それでも、ファインダー越しに捉えた今日一日の彼女の表情は、あえてコード化して解析するまでもなく、彼の記憶に鮮明に焼き付いていた。
フィギュアを前に目を輝かせていた顔、不器用にパンケーキを頬張っていた顔。そして、最後に神田明神で見せた、あの混じり気のない輝くような笑顔。
ポケットの中で、現像前のフィルムが静かにその重みを主張している。世界は相変わらずバグだらけのカオスに満ちていた。だが、そのカオスの中に、確かに愛おしい『バグ』が存在している。
リアムはカメラをコートの下へと滑り込ませ、ふと、夕闇の空に向かって静かに呟いた。
「……まあ、悪くない笑顔だね」
(スピンオフ作品No.03 -完-)

