連載小説『感情の忘れ物6 吉祥寺・如月淳編』第10話 ~新宿の忘れ物~

2027.03.16 東京・吉祥寺 『吉祥寺駅 遺失物取扱センター』

「ギィィィギェェェェェェェッ!!!」

吉祥寺のセンター内に、この世のものとは思えない耳障りな絶叫が響き渡った。

三浦の屈強な肉体を乗っ取った悪魔・αの断末魔だった。

「押さえろッ! 絶対に逃がすな!」

須藤が背後から三浦(α)の巨体を締め上げ、理沙の『白い蔦』が手足を固く戒める。

そして正面からは、相沢が馬乗りになり、全体重をかけて押さえつけていた。

三浦の胃の奥底に設置された、相沢の『白い手袋』。

そこから放たれる高濃度の浄化の光は、三浦の肉体を内側から照らし出し、皮膚を突き破らんばかりの神々しい後光となって溢れ出していた。

「や、やめ……! 俺の、俺の魂が……溶け……ッ!!」

純度100%の悪意にとって、相沢の浄化の光は致死量の猛毒に他ならない。

三浦の鼻や口から、ドス黒いスライム状のヘドロ(αの本体)が逃げ出そうと吹き出すが、外に出る端から光に当てられ、シュウゥゥッと音を立てて蒸発していく。

「お前は、他人の心を弄びすぎた」

相沢は、もがき苦しむ怪物を見下ろし、冷酷なまでに静かな声で告げた。

「その身勝手な悪意ごと、光に還りなさい」

「ガアァァァァァァァァァァッ!!!」

最後に一際強い閃光がセンターを包み込み――。

パンッ!

風船が割れるような乾いた音と共に、三浦の全身を覆っていた禍々しい黒いオーラが、完全に霧散して消滅した。


「……はぁ、はぁ……っ」

静寂が戻った室内。

須藤が力を抜き、理沙もへなへなとその場にへたり込んだ。

「……終わったか」

須藤が天井を仰ぎ見て、大きく息を吐き出す。

「ああ、クソッ……寿命が縮んだぜ。てめえの無茶苦茶な作戦のせいでな、相沢」

「お疲れ様でした、お二人とも。見事な連携でしたよ」

相沢は立ち上がり、乱れた白シャツの襟を正した。

「ゲホッ、オェェェッ!」

その足元で、三浦が激しくむせ返り、胃液と共に丸まった『白い布手袋』を床に吐き出した。

「み、三浦さん! 大丈夫ですか!?」

理沙が慌てて駆け寄る。

「……あ、あれ……? 私は、いったい……」

三浦は、涙目になりながらゆっくりと上体を起こした。

あれほど凄惨な浄化の苦しみを味わったというのに、三浦の顔色は不思議なほど血色が良く、憑き物が落ちたように晴れやかだった。

彼の体内からは、αの悪意だけでなく、彼自身が抱えていた日々のストレスや過剰な我欲すらもスッキリと洗い流されていたのだ。

「……なんだか、ものすごく身体が軽いです。サウナに十時間くらい入った後のような……」

「それは良かったです。これに懲りたら、二度と落ちている感情を拾い食いしないことですね」

相沢は、役目を終えて床に落ちた手袋を拾い上げ、ゴミ箱に捨てた。

「ひぃっ! は、はいぃぃっ! 誓って、二度としません!!」

三浦は慌てて土下座の姿勢をとった。

「さて……問題は、彼ですね」

相沢の視線が、床の隅で倒れている如月淳へと向けられた。

三人が歩み寄り、少年の状態を確認する。

呼吸はある。脈も正常だ。

だが、その顔には何の表情もなく、目は虚ろに天井の蛍光灯を見つめているだけだった。

「……完全に『空っぽ』のままか」

須藤が舌打ちをした。

「あの悪魔(α)は完全に消し飛んだが、元々のこの坊主の魂がねえんじゃ、ただの生ける屍だぞ」

「……」

相沢は無言で少年の頬に触れた。

肉体は生きているし、基本的な生命維持の機能は働いている。

だが、そこに宿るべき『心』が完全に抜け落ちた状態だ。

このまま放っておけば、彼は一生、人間としての感情も自我も持たない、ただ与えられた命令をこなすだけの『空っぽの機械』として生き続けることになるだろう。

「彼を救うには、αに奪われ、どこかへ捨てられた『彼自身の本来の心』をなんとかして見つけ出し、この体に戻すしかありません」

相沢の言葉に、理沙が不安そうに顔を曇らせる。

「でも、どこにあるか全く手がかりが……。日本中を探すなんて、不可能です……」

重い沈黙が流れた。

だが、その時。須藤が、何かに気づいたようにハッと顔を上げた。

「……おい、待てよ」

須藤は、自分の頭をガシガシと掻きむしりながら、記憶の糸をたぐり寄せた。

「さっき、あのバケモノ……なんて言ってた?」

『俺の身体は、元の持ち主の坊主と契約して譲り受けた、俺の新しい器だ。……まあ、元の持ち主の魂は、新宿のゴミ箱にでも転がってるだろうがな!』

「……新宿の、ゴミ箱」

須藤が、その単語をゆっくりと口に出した。

「数年前……。俺が新宿のセンターに配属されてすぐの頃だ。清掃員のおばちゃんが、『ゴミ箱から変な音がする』って、古い子供用の『白いスマホ』を拾ってきやがったんだ」

相沢の目が、鋭く光った。

「白い、スマホ……」

「ああ。俺の耳には、そこから異常なほど澄み切った、純粋なガキの『悲鳴』と『絶望』、それに『優しい感情』がごちゃ混ぜになったノイズが聞こえた」

須藤はニヤリと笑い、ヘッドフォンを首にかけ直した。

「あまりにもノイズが綺麗すぎて、気味が悪くてな。いつか持ち主が探しに来るかもしれねえと思って、ずっと俺のセンターの金庫の奥底に保管してある」

「須藤さん……! それって!」

理沙がパァッと表情を明るくした。

「間違いない」

相沢が、倒れている如月淳を見つめた。

「彼の隠された真の本性など、最初から存在しなかったんです。彼はただ、他人の悪意に耐えきれず、自分を守るために悪魔と契約してしまった、優しくて不器用な子供だった」

相沢は、三浦に向かって振り返った。

「三浦さん。あなたは今すぐ品川に戻って、最高に温かくて消化に良いスープを作ってください。彼が目覚めた時、心を満たすための料理が必要です」

「は、はいっ! 任せてください!」

すっかり毒気の抜けた三浦が、勢いよく敬礼して外へ駆け出していく。

相沢は、残った須藤と理沙に向き直った。

「須藤さん。至急、新宿のセンターへ向かい、その『白いスマートフォン』を取ってきていただけますか。私はここで彼を看ておきます。この惨状の片付けもありますしね」

「おう! 言われなくてもそのつもりだ。理沙、お前はここで相沢の手伝いをしてやれ!」

「はいっ! 須藤さん、気をつけて!」

「待ってろよ坊主、今すぐてめえの落とし物を届けてやるからな!」

須藤は勢いよくセンターを飛び出し、新宿へと急行した。

破壊された吉祥寺のセンターに残った相沢と理沙は、空っぽのまま静かに眠る少年の傍らで、彼の「本当の心」が帰還するのを待つことになった。

連載小説『感情の忘れ物6 吉祥寺・如月淳編』
(第11話へつづく)Coming soon…。


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は、実在のものとは関係ありません。