2027.03.16 東京・吉祥寺 『吉祥寺駅 遺失物取扱センター』
「ひぃぃぃぃぃぃっ! ご、ごめんなさァァァァァァいっ!!」
死を覚悟した相沢たちの前で、センターの自動ドアに顔面から激突し、ズサーッと床を滑ってきた大男。
仕立ての良いスーツを土埃と涙でぐしゃぐしゃにした品川のシェフ、三浦省吾だった。
「……あァ?」
如月(α)は、振り下ろそうとしていた定規の刃をピタリと止め、胡散臭そうに闖入者を見下ろした。
「なんだ、この薄汚えおっさんは」
「な、なんですかァ!? この大惨事はァ!?」
三浦は、真っ二つに割れたカウンター、壁際で血を流す相沢と須藤、そして怯える理沙を見て、完全にパニックを起こしていた。
だが、彼を一番震え上がらせたのは、その中心に立つ「少年」の姿だった。
「き、如月君……!? なぜ、君がそんな禍々しいオーラを……!?」
「ん?」
如月(α)は、三浦の顔を見てニヤリと口角を吊り上げた。
「ああ、品川の料理人か。お前が余計なちょっかいを出してくれたおかげで、俺の意識が目覚めたんだぜ。感謝してるよ」
「わ、私が……!?」
三浦は顔面蒼白になり、ガタガタと震えながら相沢の方へ這い寄った。
「あ、相沢さん……! も、申し訳ありません……!! 私、嘘をついていましたぁぁっ!」
三浦は床に額をこすりつけ、子供のように泣き喚いた。
「私、あの黒いスマートフォンをここへ持ってくる前……ほんの一口だけ、こびりついていた感情を舐めてしまったんです! あんまりにも美味しそうな匂いがして、我慢できなくて……!」
「……てめぇ!!」
須藤が壁際で怒号を上げた。
「この期に及んでまた拾い食いしてただと!? てめぇがこのバケモノの封印を解きやがったのか!!」
「ごめんなさァァい! 怒られると思って、隠してました……! まさかこんなことになるとは思わなくて……! 私、罪悪感で夜も眠れなくて、謝りに来たんですぅぅっ!!」
土下座をして泣きじゃくる三浦。
この絶対絶命の窮地に、ただ自分の「つまみ食い」を懺悔しに来たという、あまりにも情けなく、場違いな行動。
だが。
相沢の脳内で、バラバラだったパズルのピースが、強烈なスパークを伴って一つに繋がった。
(……なるほど。三浦さんが『味見』をしたことで、彼の体内にαの人格の残滓が取り込まれた。そして、店を訪れた少年に三浦さんが何らかの接触をしたことで、その残滓が『空っぽの器』へと流れ込み、遠隔でαの人格を再起動させる引き金(トリガー)になったというわけか……)
最悪のドジだ。万死に値する失態と言っていい。
だが、同時に相沢の冷徹な思考回路が、一つの「逆転の可能性」を弾き出した。
(今、如月君の肉体(器)を傷つけることはできない。なら、αの『人格』だけを、如月君から引き剥がすしかない。……だが、あの悪魔が、居心地の良い器から自分から出て行くはずがない)
相沢の視線が、如月(α)から、足元で泣いている三浦へと移った。
(もし……目の前に、『如月淳よりも強靭で、都合の良い空っぽの器』があったとしたら?)
三浦は、異常なまでの感情の許容量(キャパシティ)を持っている。
須藤の「新宿の猛毒チーズ」を丸飲みしても、ただ腹を下すだけで死ななかった頑丈な肉体。
αにとっても、それは魅力的な「極上の乗り物」に見えるはずだ。
「……三浦さん」
相沢は、よろめきながら立ち上がり、三浦を見下ろした。
その声は、普段の穏やかなものとは違う、どこか狂気を孕んだ冷たさを持っていた。
「ひっ……は、はい……!」
「あなたが嘘をついたせいで、吉祥寺(ここ)は崩壊寸前です。……謝って済む問題ではありませんね?」
「うぅっ……! も、もちろんです! 私にできることなら、なんだって償いますから……!」
「いいでしょう」
相沢の目が、鋭く光った。
「なら、今ここで、その罪を償っていただきます!」
「えっ……? ひぎぃっ!?」
相沢は、右手に嵌めていた「真っ白な布手袋」を勢いよく脱ぎ捨てた。
そして、左手で三浦の顎をガシッと掴み、無理やり口をこじ開けた。
「ちょっ、相沢……何してんだ!?」
須藤がギョッとして声を上げる。
「飲・み・込・め!!」
相沢は、脱いだばかりの白手袋、すなわち『浄化の力』そのものを、三浦の口の奥深くまで、容赦なくねじ込んだ。
一切の躊躇(ためら)いもない、狂気の沙汰だった。
「んぐぅぅっ!? がふっ、ごぼぉぉぉッ!!?」
三浦は白目を剥き、ジタバタと手足を暴れさせた。
だが、相沢の腕力は強く、手袋は完全に三浦の食道を通過し、胃袋へと到達した。
「相沢さん!? 三浦さんが死んじゃう!」
理沙が悲鳴を上げる。
「死にはしません! デトックスです!!」
ゴキュンッ、と。
手袋が胃の腑に落ちた瞬間。
カッ!!!!!
三浦の腹部が、爆発的な純白の光を放った。
品川での一件と同じだ。だが、今回は相沢の「直接の意志」が込められている分、その浄化作用は暴力的だった。
「おごぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
三浦の体が、エビのように大きく反り返った。
彼の体内にある、これまで食ってきた「野心」「嫉妬」「つまみ食いした悪意の残滓」、そして彼自身の「恐怖」や「我欲」までもが、相沢の手袋の力によって強制的に初期化(フォーマット)されていく。
「ゲロォォォォォォォォォッ!!!」
三浦の口から、虹色の光の奔流(ゲロ)が、間欠泉のように噴き出した。
それは天井に激突し、光の粒子となってセンター内に降り注ぐ。
「うわっ、またかよ! 汚ねえ!!」
須藤が理沙の頭を庇いながら、這いつくばって逃げる。
光の嘔吐は数十秒続き、やがて――。
「……あ、あ、ぁ……」
全ての「負の感情」を出し尽くした三浦は、口から一筋の泡を吹き、白目を剥いたまま、ドサッと床に倒れ込んだ。
ピクリとも動かない。
心停止しているわけではない。
彼の肉体から一切の「感情のノイズ」が消し飛び、文字通り**『完全な空っぽ(初期状態)』**の器になったのだ。
「……な、なんだぁ? 何の茶番だ、そりゃあ」
その常軌を逸した光景に、さすがの如月(α)も呆気にとられ、定規を構えたまま立ち尽くしていた。
「……ハァ、ハァ……」
相沢は、素手になった右手をだらりと下げ、荒い息を吐きながら、如月(α)を睨みつけた。
場には、満身創痍の三人の能力者。
そして、床には「最高に頑丈で、完全に空っぽの肉体(三浦)」が転がっている。
相沢の仕掛けた、起死回生の『罠』。
全ては、あの悪魔の「欲望」を誘い出すための、命懸けの舞台装置だった。
連載小説『感情の忘れ物6 吉祥寺・如月淳編』
(第9話へつづく)
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は、実在のものとは関係ありません。
