連載小説『感情の忘れ物6 吉祥寺・如月淳編』第6話 ~吉祥寺の防衛線~

2027.03.16 東京・吉祥寺 『吉祥寺駅 遺失物取扱センター』

「……で? 品川のバカ料理人が、また自分の手に負えねえような厄介なモン拾って、ここに泣きついてきたってわけか」

カウンター席でパイプ椅子にふんぞり返り、須藤が不機嫌そうに鼻を鳴らした。

その横では、巣鴨から「研修」という名目で手伝いに来ている峰岸理沙が、三人分の温かいお茶を淹れている。

「ええ。先日、三浦さんが持ち込んだ『黒いスマートフォン』。……あれは、少々異質です」

相沢は、紅茶のカップを手にしながら静かに答えた。

「『愉悦』と『無差別の殺意』。それだけが極限まで圧縮され、分離されていました。三浦さんからの連絡によると、持ち主は『如月淳』という少年院上がりの少年だそうですが……私は彼が大人になるまで、あれをここに封印するつもりです」

「ふーん。まあ、お前がそう判断したなら、相当ヤバイ代物なんだろ。……で、なんで俺たちまで呼ばれたんだ?」

「念のためですよ。もし持ち主が取り返しに来た時、少し『耳と鼻の良い』立ち会人がいた方が、彼の本質を見極めやすいですからね」

「人使いの荒いこった」

須藤が文句を言いながらお茶を啜ろうとした、その時だった。

ウィィィン……。

自動ドアが開き、一人の少年がセンターに入ってきた。

紺色のスプリングコートに、端正な顔立ち。

まるで上質なガラス細工のように、透き通った雰囲気を持つ少年だった。

「あの、すみません。……品川のレストランの方から、こちらを訪ねるようにと言われまして」

少年が深く、丁寧なお辞儀をした。

その瞬間、センターにいた三人の「能力者」たちの感覚器官が、一斉に反応した。

(……無音だ。気味が悪いほど、何のノイズも聞こえねえ)と、須藤が眉をひそめる。

(……匂いがない。無臭……お水みたいに透き通ってる)と、理沙が目を丸くする。

そして相沢は、白い手袋越しに少年の『気配』を視認し、確信した。

(やはり……空っぽだ。あの異常な『悪意』を切り離した結果、この少年の心は、文字通り人形のように抜け落ちている)

相沢は立ち上がり、穏やかな声で応対した。

「いらっしゃいませ。如月淳君ですね。お話は伺っています」

「はい。僕の、黒いスマートフォン……両親が間違えてレストランに忘れてしまったんです。僕にとって、とても大切な家族の思い出が入っていて……。返していただけますか?」

淳の瞳は潤み、切実な訴えを投げかけてくる。

息子の帰りを待つ両親の愛情と、それに応えようとする健気な少年の姿。

理沙などは、すでに「可哀想に……」と同情の表情を浮かべていた。

だが、相沢の表情は崩れなかった。

目の前の少年が「良い子」であることは疑いようがない。だが、それは彼が「悪意」を切り離したからだ。今、あの猛毒をこの無防備な器に戻せば、彼は間違いなく精神に異常をきたす。

相沢は、カウンター越しに真っ直ぐ淳の目を見つめた。

「如月君。あなたのお忘れ物は、確かにここでお預かりしています。……必ずお返しします。でも、今は返せない」

「……え?」

淳の顔に、戸惑いの色が浮かぶ。

「あなたはまだ若く、心に隙間が多すぎる。あの重い荷物を背負うには、少し早すぎます。大人になったら取りに来てください。それまで、私が責任を持って大切に保管しています」

それは、相沢なりの最大限の「保護」だった。

彼が大人になり、社会の酸いも甘いも知り、精神的な耐性がつくまで、あの猛毒から遠ざけておくという親心に似た判断。

「……」

淳はうつむいた。

沈黙が落ちる。

センターの中に、壁掛け時計の「カチ、コチ」という無機質な音だけが響く。

「……返して、もらえないんですか」

「はい。今のあなたには、危険です」

「……」

(……諦めるしかねえぞ、坊主。こいつが一度首を縦に振らなかったら、岩より頑固だからな)

須藤が退屈そうに首を鳴らした、その時。

うつむいていた淳の肩が、微かに揺れた。

くくっ、と。

声にならない、乾いた笑い声。

そして、淳はゆっくりと顔を上げた。

先ほどまでの「健気な少年」の面影は、そこには微塵もなかった。

見下すような、冷酷で、全てを嘲笑うような悪魔の目。

「なるほどね」

淳の声のトーンが、一段階下がった。

「それって、俺が、お前らと同じ『能力者』だから?」

「……ッ!?」

相沢の目が、驚愕に見開かれた。

須藤が「あァ?」と立ち上がり、理沙が息を呑む。

(能力者……!? なぜ、彼がその言葉を……!?)

相沢の思考が追いつくよりも早く、怪物は動いた。

「返さないなら、力ずくで奪うまでだ!」

淳はカウンターの上のペントレイから、一本の『プラスチック製の定規』を掴み取った。

その瞬間、淳の体に宿る微量なαの因子が、定規に注ぎ込まれる。

特殊能力――『物質の超強化・凶器化』。

ただの百円の定規が、ドス黒いオーラを纏い、日本刀のような鋭利な刃物へと変貌した。

「死ねェッ!!」

淳はカウンターを蹴り上げ、一直線に相沢の喉元を狙って定規を振り下ろした。

「相沢ッ!!」

須藤が横から飛び出そうとする。

相沢もまた、防御姿勢を取ろうと身を引いた。

だが――それは、巧妙なフェイントだった。

空中で、淳の口角が吊り上がる。

(……引っかかったな、間抜け共)

淳は相沢の頭上を飛び越えるように軌道を変え、センターの奥――「分類不能品」が保管されている棚へと方向転換した。

彼には『見えて』いたのだ。

自分の感情(本体)が、どの棚の、どのアクリルケースに封印されているのかを。

「しまっ……!」

相沢が声を上げる。

淳は着地と同時に、凶器化した定規で、強化ガラス製のアクリルケースを真っ二つに叩き割った。

ガシャァァァンッ!!

破片が飛び散る中、棚の奥深くに隠されていた『黒いスマートフォン』が露わになる。

淳は、歓喜の声を上げて、それに手を伸ばした。

「さあ、戻ってこい……俺の『殺意(すべて)』!!」

指先が、黒いスマートフォンに触れた瞬間。

ドゴォォォォォォンッ!!!!!

センター内の空気が、文字通り爆発した。

「きゃあああああっ!?」

理沙が悲鳴を上げて耳を塞ぎ、しゃがみ込む。

須藤のヘッドフォン越しにすら、脳を破壊するような超高周波の絶叫(ノイズ)が突き刺さる。

「ぐあッ……!? な、なんだこのバカでけぇ音は……!?」

黒いスマートフォンに封印されていた『愉悦と無差別の殺意』が、本来の容れ物である如月淳の肉体へと逆流し、完全な融合を果たす。

すべての悪意を排出し、ただの空っぽな機械の抜け殻となった黒い端末は、彼の手から滑り落ち、ガラン、と無機質な音を立てて床に転がった。

淳の全身から、ドス黒く、そしておぞましいほどに鮮やかな『悪意のオーラ』が間欠泉のように噴き出した。

それは、単なる「感情の残滓」などという生易しいものではない。

「器」を得たことで、悪意は実体としての「圧力」を持ち、センターの壁にヒビを入れるほど膨張していた。

「……不覚を取りました」

相沢は、吹き荒れる暴風の中で、ギリッと奥歯を噛み締めた。

ただの「空っぽの少年」だと思っていた。

だが、事実は違った。

彼は自分と同類の『能力者』であり、夥しい数の感情の中から自分のものをピンポイントで選び取る術を知っていた。

そして何より――相沢は、目の前で歓喜する少年の姿から、この恐るべき『悪意』こそが、彼の隠された真の本性なのだと戦慄した。

「ハァァァァ……ッ! 素晴らしい……!!」

黒いオーラの中心で、如月(α)が恍惚と両手を広げていた。

全ての感情と記憶を取り戻し、完全体として覚醒した悪魔。

「最高だぜ……。やっぱり、俺の殺意は、この肉体(カラダ)があってこそ輝く……!」

如月(α)は、手にしたプラスチック定規を、凶悪な刃のように相沢たちへ向けた。

「さて、お前ら。……俺の『復活祭』の、最初の獲物(エサ)にしてやるよ」

完璧な善人の顔をした少年が、最も純粋な悪魔として、吉祥寺の防衛線に牙を剥いた。

連載小説『感情の忘れ物6 吉祥寺・如月淳編』
(第7話へつづく)


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は、実在のものとは関係ありません。

連載小説『感情の忘れ物6 吉祥寺・如月淳編』第7話 ~規格外の敵~
凶器と化した定規を振るい、センターを蹂躙する淳(α)。交戦の最中、相沢は敵の正体が「少年の肉体を乗っ取った怪物」であるという最悪の真実に辿り着く。歴代管理者の異能すら通じない規格外の敵を前に、3人はかつてない絶望的な窮地へと追い込まれる。

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